仲越集落(なかごし - しゅうらく)

仲越集落は岐阜県山県市の神崎地区に存在する区分上の廃村集落であるが、厳密に言えば一世帯のみ居住がある状態である。福井県にほど近い孤立した地勢上にあり、戦後の新聞記事でも日本のチベットと書かれるほどの辺境に位置している。高度経済成長に伴う過疎化の波をもろに受ける形で急激に衰退した。

真偽の程は不明ではあるが、平家の落人によってできた集落という伝承が代々受け継がれているようである。毎年旧盆の三日間に渡って大々的に行われていた盆踊りも、そんな祖先を偲ぶ意味合いもあり、住民もそのことを誇りに思い、心の拠り所としていたという。

集落には現在も数軒の家屋が現存するが、そのどれもひどく老朽化している状態である。その他にも火の見櫓や神社、公民館が残されているほか、少し離れた場所にかつて集落の子供たちが通った仲越小中学校跡地がある。

この場所の年表

12世紀頃 この集落の起源は不明だが、代々平家の落人が拓いた集落だという言い伝えが残されており、それが事実であればこの時期に発足したのだと思われる
18世紀頃 大火によりほぼ全戸となる23戸が焼ける被害に遭う
1926年 旧北山村立北山尋常小仲越文教場が発足
1948年 文教場が北山小仲越分校と北山中中越分校に分かれる
1956年 始めて簡易的な水道設備が整備される
1964年 中学校が美山北中仲越分校と改称
1970年 美山北中仲越分校が北山小中学校から独立し、仲越小中学校となる
1979年3月 生徒数の減少により仲越小中学校が休校となる

主なランドマーク

仲越公民館

元は学校として使用されていたものを公民館として再利用した建物。かつてはこの公民館の前で、周辺集落の住民まで参加するほど大々的な盆踊りが毎年行われ、住民はこれを唯一の楽しみとして日々過酷な労働に励んだという。姥神社が隣接している。

姥神社

集落を登った先にある古い神社で、主祭神は姥大権現である。由緒ははっきりとは分かっていないようだが、棟札などを見るに17世紀後半ごろに創立されたと思われる。

現在も住民によって時折管理されているようであり、神社自体は比較的綺麗な状態であった。正面から見て立派な灯篭が二基と鳥居があり、石段を上ると狛犬やお社というこのような小規模集落においては基本的な造りの神社である。

火の見櫓

この集落に水道が通ったのは1956年のことであり、それまでは恐らく近くの川の水や湧き水を生活水として使用していたと想像できる。そんな暮らしの中で火事は何よりも警戒しなければいけない事柄であり、実際に過去に二度も大火に見舞われその度に殆どの家屋が焼失している。

この集落での暮らしにおいては、昼間は大人が山仕事のためにすべて出払うため、村に残されるのは小さな子供と老人のみであった。そのため、大人が出払っている間に火事でも起こったらというのが住民にとっては一番の不安の種だったという。

戦後にようやく水道が整備されたのを機に、小学校高学年の子供のみで消防団が結成され、毎月厳しい訓練が行われた。これをもってこの村が発足してから常に住民の頭を悩ませた問題が解決したのである。

仲越小中学校跡地

1926年に旧北山村立北山尋常小仲越文教場として発足し、1979年3月をもって生徒数が0となることから休校となった。高度経済成長による地方の過疎化の波をもろに受けたこの村は、戦後に住民が一気に都市部に流出したことで急激に衰退した。

将来的に住民が帰ってきたときのためにと休校とされたがその後、この場所が再開されることは二度となかった。現在は校舎は残されておらず、広いスペースに管理用と思われる山小屋が一軒残るのみである。

敷地内には仲越集落の出身である猟師の方が、未来に咲き誇るようにと願いを込め紅葉などの木を植樹されており、故郷への思いの強さが伺える。

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