保月集落(ほうづき - しゅうらく)

保月集落は滋賀県多賀町にある廃村である。鍋尻山の麓に位置するこの集落は、かつては、五僧とともに旧脇ヶ畑村を構成した集落であった。多賀町に多数存在する山間集落全てを含めても最大規模の集落で、多賀大社へ参拝するための峠沿いの宿場町として大きく栄えた。しかしながら、他の集落と同様に戦後に急速に過疎化が進んだ結果、現在の定住者は0となっている。

「保月」の名の由来としては、近くの鍋尻山に有明月を見るという意味から、「月を保つ」すなわち保月という地名が生まれたという説の他、諸説存在している。集落の起源としては、もとは平家の残党が落ち延びて形成されたという言い伝えも残っているが、根拠に乏しくその真偽は定かではない。

この場所の年表

1570年2月28日 保月に存在した道場が浄土真宗に改宗する
1668年8月 八幡神社が火災で焼失する
1677年9月29日 八幡神社が再建される
1749年11月19日 坂田郡新庄村の照西寺を保月に移す
1870年 米騒動が勃発し、百姓一揆が起こる
1885年 五僧、と合併し、役場が保月に設置される
1887年4月1日 脇ヶ畑簡易科小学校が開校
1897年4月 駐在所が設置される
1924年2月25日 小学校が全焼、仮校舎で授業を行う
1925年10月4日 新校舎が落成
1928年2月14日 火災で民家三棟が全焼、水道設備の設置が検討される
1942年12月21日 電話が設置される
1949年 大火が発生、神社を含む民家13棟が焼失する
1969年3月末 児童数の減少により学校が休校となる
1972年 役所が閉鎖される
1980年代 定住者が0となり廃村となる

主なランドマーク

照西寺

もとは天台宗の寄合道場であったが、1749年11月19日に信受なる僧が坂田郡新庄村の照西寺を保月に移し、西本願寺派に改宗したと伝わる。元が寄合集落であった保月は宗派の対立も激しく、この照西寺についても時代によって目まぐるしくその立場を異にしている。

八幡神社

祭神は応神天皇であり、その由緒は定かではない。元は南宮神社があったとも伝わる。記録によると1668年8月に火災により炎上したが、1677年9月29日に再建されている。1949年には再び火災により焼失したが、翌年に現在の形に再建された。

脇ヶ畑小学校跡地

1887年4月1日に脇ヶ畑簡易科小学校として開校。その歴史において火災に遭い全焼するなど変遷を経て1969年3月末に児童数の減少により休校となった。

保月の地蔵杉

樹齢500年を超えると言われる杉の巨木が3本聳え立ち、古来より地蔵杉として峠越えを行う際の目標地点とされていた。杉の間には地蔵堂が今でも残っている。この地蔵は乳地蔵であり、母乳の多い母親は余った分をこの地蔵にお預かり願い、母乳の少ない母親は地蔵に願掛けを行い、母乳を授かるよう願ったという。

夏の地蔵盆には保月の子供たちが、この地蔵堂のお守りをしながら、鉦を叩いて通行人に「御奉加、御奉加」と頼みながら盃に酒を注いだといい、その甲斐あってこの地蔵堂へのお供えは、他よりも一段と多かった。

関連コンテンツ