俵石集落(たわらいし- しゅうらく)

俵石集落は和歌山県新宮市に存在する廃村である。烏帽子山の東麓に位置するこの集落は北に位置する高田村の枝村として開墾されたようで、天保郷帳によると1662年にこの地で新田開発が行われたとある。 盛期でも20戸に達することはなかったと思われるものの、記録からは数多くの姓が確認でき、このことからも土地の開墾に伴い各方面から人々を募って形成された寄合集落であったことが窺える。 現在でも田畑の跡と思われる石垣群が広い範囲に残されており、その壮大さから当時の隆盛を思わせる。しかし交通の不便さから昭和中期頃には定住者が0となり、現在は管理されている様子もみられない。

この場所の年表

1662年 この地で新田開発が行われた
19世紀 石高450石との記録あり
昭和中期頃 定住者が0となり廃村となる

主なランドマーク

唯一現存する廃屋

集落の中間辺りに位置する廃屋。historicaのYoutubeチャンネルに寄せられたコメントによるとここが最後の住民の家だったようで1970年代初頭頃までは居住があったようである。

以下、該当のコメントを紹介する。

懐かしき俵石 社員になって初めての勤務先が関西電力新宮営業所外線係。
高田から那智山まで電柱がありました。高田と那智山に小水力の発電所があり6KVの線路が繋がっていました。当時台風とかの復旧線路としては重要な電柱でした。俵石に民家もありました。私の記憶では1軒でした。おばあさんが一人。郵便屋さんが通っていました。電話はなかったようです。私がおばあさんに聞いたのを覚えています。「もし、家の中の約定ヒューズが切れて停電したらどうすのですか」と、そしたら「郵便屋さんが来た時にハガキでお知らせします」とのことでした。悠長な話しですね。当時の道は今の映像を見るよりはるかに歩きやすかったです。1971年ころの話です。

巨石

集落の入り口付近にある巨石。高さ3m、全長は8m程か。俵石は集落内にあった俵型の巨石が集落名の由来と言われており、その巨石はかつて集落の中心地であった神社のご神体として信仰を集めていたようだが、この巨石が該当の巨石なのかは判然としない。

石垣群

田畑の跡と思われる石垣群であり、石垣は非常に広範囲に渡っている。和歌山県内でもこれほどまで大規模なものは珍しく、当時の隆盛を思わせる。

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