十津川村(とつかわ - むら)

十津川村は奈良県の最南部に位置する村である。「村」としては日本国内で最も広い面積を有すことでも知られている。農耕にまるで適さない地形ゆえ、古来より免租の地域として半ば独立した共同体を形成してきた歴史がある。

古くから一貫して勤皇勢力として勤めてきた歴史があり、一揆の鎮圧や数々の争乱に参加し、それらの戦功により税減免措置の待遇を受けてきた。この慣習は明治時代まで続き、恐らく日本国内で最も長い期間の減免措置であろうと言われている。

現代では世界遺産でもある熊野古道や十津川温泉郷をはじめとした豊富な観光資源を特色とした国内でも有数な観光地となっている。

この場所の年表

紀元前37年 崇神天皇によって熊野本宮大社とともに玉置神社が創建されたと伝わる
672年 十津川の民が壬申の乱に参加し、その戦功が認められ勅免地となったと伝わる、十津川がその後長く勅免地として続く歴史の始まりである
中世期 南北朝時代には勤皇として南朝との深い関りがあったと伝わる、後村上天皇が発給したと伝わる古文書には南朝に尽くすよう十津川の民に命じた内容が残されている
1863年 天誅組に十津川郷士が参加する
1873年 地租法が改正され有租地となる、これを機に勅免地として代々続いてきた長い歴史が終焉を迎える
1889年 十津川大水害により168人が死亡し、村の大部分が大きな被害を受けた、これを受け約2,500名の住民が北海道へ移住し新十津川村を開拓した
1890年6月18日 周辺の村々が合併し十津川村が発足、今に続く十津川村の形となる
2010年9月 「日本で最も美しい村」連合に加盟する

主なランドマーク

果無集落

果無集落は熊野古道小辺路の「果無越」ルートの道中に位置する山間集落である。果無山脈を見渡すその絶景から「天空の郷」とも呼ばれている。

集落は日本の古き良き日本の原風景を色濃く残しており、世界遺産である熊野古道が通る集落として一躍有名となった。辺境の集落にも拘らず、小辺路の中でも過酷と言われる果無越を試みる際の休息地として、現在でも多くの人々が訪れる。

谷瀬の吊り橋

谷瀬の吊り橋は十津川村上野地に位置する吊橋である。日本最長の生活用鉄線の吊橋として、十津川村の中でも有数の観光名所となっている。

高さ54メートル (m) 、長さ297.7 mを誇り、1954年に設置された。吊り橋の設置以前には、川に丸太橋を掛けての往来が行われていたが、洪水のために橋が流されることから、周辺集落の住民が費用を出し合い約800万円をかけて吊り橋を完成させた。

教員の初任給が7,800円だった時代においてこの金額を殆ど有志で賄っていることからも、このつり橋の設置が住民の悲願だったことが伺える。

玉置神社

未訪問

熊野参詣道 小辺路

熊野参詣道 小辺路は高野山と熊野本宮を最短距離で結ぶ全長約70kmほどの古道である。2004年にユネスコの世界文化遺産として登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として一躍有名となった。十津川村には十津川温泉を起点に、標高1000m強の果無峠を越え熊野本宮大社を目指す「果無越」ルートが通っている。

このルートは、急こう配な険しい山道を進む必要があることから小辺路の中でも過酷と言われており、所要時間は約7時間である。道中には大正時代に地域の人々に寄進された西国三十三番札所を模した観音石仏が供えられている。

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