桃原集落(もばら - しゅうらく)
桃原集落は滋賀県の多賀町に存在する廃村である。2021年頃までは定住者が居たようだが、2022年現在では最後の住民も街へ移住されたようだ。その起源は定かではない。元は平家の落人が形成した集落であったとの言い伝えも存在するが、根拠に乏しく真偽の程は定かではない。1765年の資料にはゴボウの産地として桃原の名が確認できることから、少なくともそれより以前には存在していたことが分かる。
かつてこの地域で広く栽培されていたゴボウは高級食材として名を馳せたが、中でも質の良い赤土と、水捌けの良い緩やかな斜面を利用して栽培された桃原産のゴボウはとりわけ有名であった。昭和20年ごろからは冬季のゴボウ畑がスキー場として活用され始め、それが事業として成功したことで、多くの来訪者で賑わった。しかし昭和30年代に入ると各地でインフラの整備が進み、自動車での交通が不便であった桃原のスキー場は徐々に客足が遠のいていった。さらに追い打ちをかけるように燃料革命が起こり、主産業であった林業の需要も大きく低下。多くの住人は市街地へ仕事を求めたため、移住が活発となり、過疎化が急速に進行していった。その結果、人手不足により農業分野も衰退し、この地の主な生業は消滅することとなり現在に至る。
この場所の年表
年代不詳 | もとは平家の落人が開拓して始まったと伝わる |
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1765年 | 「江左三郡録」にゴボウの産地として桃原の名が登場する |
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1933年 | 冬季のゴボウ畑を活用したスキー場が開業 |
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1940年代 | スキー事業全盛、行政も介入し本格的な事業として成功を収める |
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1960年代 | インフラの整備、燃料革命によりスキー事業が廃業、主産業であった林業、農業も徐々に衰退していく |
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2021年 | 最後の住民が移住し定住者が0となる |
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主なランドマーク
日吉神社
もとはこの地にあった天台宗の寺の影響が強く、天台宗と関わりの深かった日吉大社からの歓請と伝わる。祭日は4月14日に春祭りが、9月14日には秋祭りが行われていた。
しかしながら本殿には僧の姿をした仏像が祀られているといい、この地区では神仏習合の考えが広く根付いていたことが分かる。本殿の向かいにある空のお堂は、かつて「泣き地蔵」が祀られていたが、現在は老朽化や盗難の恐れから地蔵自体は別の場所で保管されている。
永法寺
桃原にはかつて多数の寺が存在したとされ、中でも天台宗の桃原寺が最も規模が大きな寺であった。しかしながら現在、桃原寺は存在せず集落内には浄土真宗の永法寺が残っている。永法寺も元は天台宗であったが後に改宗し、浄土真宗に帰依している。