灰野集落(はいの - しゅうらく)

灰野集落は愛知県豊川市に存在する廃村である。御津川の上流、宮路山の南麓に位置するこの場所は、明治期に近隣の金割村と合併し金野村となった。その後しばらくは存続したものの、インフラの発達に伴いより利便性の高い場所へと住民が移ったことから1970年代ごろには無住となった。もとは東海道の宿場町であった御油宿の助郷村であったが、御油宿の衰退とともに灰野自体の重要性も低下していった。現地にはかつて灰野と御油宿を結んでいた峠道が残されている。

この場所の年表

古代 12基にものぼる古墳群が灰野周辺で発見されており、古代から人の居住があったことが伺える
1872年 助郷制度が廃止される
1876年 隣村の金割と合併、両村から1文字ずつを取って金野村となった
1959年 金野豊川線が開通、住民が交通の便が良い沿道に移住を始める
1970年代 定住者が0になり廃村となった

主なランドマーク

八柱神社

1658年創建。正哉吾勝勝速日忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、田心媛命、湍津姫命、市杵島姫命である。

円蔵寺

本殿は2015年頃に倒壊し、現在は跡形も残っていない。現在は墓地があり、定期的に住民が管理に訪れている様子が見てとれた。

馬頭観音

荷物の運搬を殆どを馬に頼っていた灰野にとって馬は家族同然の重要な存在であった。峠にいくつか建立されたこれらの馬頭観音は、灰野の住人が愛馬が死去したことを哀れみ、毎日通ったこの峠沿いに1825年に設置したものと言われています。

灰野峠

灰野は江戸期には東海道五十三次35番目の宿場であった御油宿の助郷村であり、灰野峠は灰野と御油宿を結ぶ往来の盛んな道であった。インフラが発達してからはその役目を失い、今では殆ど人の往来は見られない。

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