百夜月(ももよづき)

百夜月は三重県熊野市に存在する無住集落でである。和歌山県、奈良県、三重県の県境が交わり、北山川が流れる山間に位置するこの集落は、陸路からのアクセスが事実上不可能となっており、まさに陸の孤島と言える。また、隣接した花井、九重、竹筒を含めこの辺りの地域には興味深い伝承が残されており、その地勢とも相まって古くから多くの人々を魅了してきたことでも有名である。2011年に定住者が0となったことから、現在では無住集落となっており、元住民が時折管理に訪れるのみとなっている。

この場所の年表

14世紀 この地に護良親王が訪れ、当時この地を支配した百井氏に身重の妻を託す。後に難産の末母子が死去、母子を弔うために紅梅寺が建設された
1876年 元は九重の一部であった百夜月が廃藩置県の影響により花井の一部となる
1945年頃 久しく無人の地だったと思われる百夜月へ役所の紹介を受けた人々が移住する
2011年 最後の住人が死去したことにより廃村となる、また、花井も同年に最後の住人が死去したことにより廃村となっている

主なランドマーク

紅梅寺跡

伝承に伝わる尼僧が住んだと言う寺。寺の裏山には尼僧のものと伝わる宝篋印塔が残されている。現在は跡地が残るのみでかつての面影は無く、僅かな石積みの跡からそこにはかつて何かしらの建造物があったことが想像できる程度である。境内にある小屋は、元住人が後に設置したものである。花井にある吉祥寺の山門はもとは紅梅寺の裏門であったという。

また、この地には尼僧のものとは別の伝承も存在している。この地はかつて百井安友という人物の領地であった。護良親王がこの地に訪れた際にお産の迫った妻を百井氏に託した。しかし護良親王が去って間もなく母子は難産の末この世を去った。百井氏はこれを酷く嘆きこの地に紅梅寺を建て母子を弔った。これを加味すれば寺に残された宝篋印塔は護良親王の妻の物である可能性が高いと言えるだろう。

尼僧の墓

伝承に伝わる尼僧のものと言われる宝篋印塔で、現在でも寺の境内にひっそりと残されている。

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