西洞集落(にしぼら - しゅうらく)

西洞集落は岐阜県山県市にある廃村である。現在も、元住民が時折集落へ訪ねてきているが、いずれも高齢のため、近い将来完全に無人となる可能性が高い場所である。この場所は現代の地図には掲載もされておらず、歴史に埋もれつつある場所の1つでもある。

盛期には47世帯ほどあったが、大正時代頃から徐々に住人の流出が始まり1970年にすべての住人が移住したことで廃村となった。岐阜県内の他の廃村とは異なり、住人の移住先が全国各地に散っていることと、理由も食料や広大な農地を求めての移住が多いことが特徴的である。江戸時代初期にはすでに集落が形成されており、その由来は戦国武将であった長屋景重に関連する一統であったと伝わる。

この場所の年表

1582年 金森可重の実父でもあった長屋景重の所領であった田口城が落城、その後、この辺りに落ち延びた人々が住み着いて西洞の原型が形成される
1888年 柿野小学校西洞分校が開校
大正時代 広大な農地や豊富な食料を求め徐々に住人の移住が始まる
1970年 全ての住民が移住し廃村となる。同時に西洞分校も廃校となった

主なランドマーク

人家分布図の石碑

恐らく、廃村当時の人家分布が示された石碑。元住人の話によると、住人同士で費用を出し合って建立されたものだという。石碑の傍には住人が残していったと思われる模型や、オブジェが置かれている。また、近くには「青年の力石」と名付けられた力石も置かれていた。

白山神社跡

集落から2kmほど下流に遺されている神社跡。集落が廃村となった際に他の神社に移管されており、現在は完全な跡地となっている。敷地内には社や灯篭、石段などが残されているが、殆ど自然に飲み込まれつつある場所である。

稲荷神社の祠

集落から1kmほど下流にひっそりと安置されている稲荷神社の祠。元住人が供えたと思われる酒などが確認できた。辺りを巨石が囲んでおり印象的な場所である。

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