黒津集落(くろづ - しゅうらく)

黒津集落は岐阜県本巣市に存在する廃村である。近隣の越波大河原と共に奥三か村とも呼ばれ、福井県との県境付近に位置していることから、岐阜県内でも最も奥地に存在する集落の1つであった。黒津は、かつては三か村の中心地として栄えたが、戦後の高度経済成長に伴い過疎化が急速に進み、現在の定住者は0となっている。集落は2022年現在でも元住人が定期的に訪れているようで、神社や一部の家屋などは綺麗に保たれているように見受けられた。

この場所の年表

12世紀末頃 平家の落人であった斯波五郎左衛門という人物が黒津を拓いたと伝わる
1886年 黒津村が越波学校から離脱し黒津簡易科小学校が開校される
1889年 町村制により黒津村が発足する
1897年 周辺集落と合併し中根尾村となる
1905年 黒津簡易科小学校が黒津尋常小学校に改称され、大河原簡易科小学校、越波簡易科小学校を統合する
1941年 黒津尋常小学校が黒津国民学校に改称される
1947年 黒津国民学校が根尾村立黒津小学校に改称され、根尾中学校黒津分校を併設がされる
1960年 根尾中学校黒津分校が根尾中学校から独立し黒津中学校が発足する
1965年 黒津中学校が廃止される
1970年 黒津小学校が長嶺小学校に統合され廃校となる。旧黒津小学校は長嶺小学校黒津分校となる
1985年 長嶺小学校黒津分校が廃止される

主なランドマーク

黒津小中学校跡

黒津の子供たちは、元は越波にあった学校に通っていたが1886年に越波から独立し黒津簡易科小学校が開校、その後1905年には黒津尋常小学校に改称し、大河原簡易科小学校、越波簡易科小学校を統合した。越波と大河原にはそれぞれ分校が設置された。途中、黒津中学校が併設されるも、1965年に中学校は廃止される。1970年には長嶺小学校に統合され廃校となり、長嶺小学校黒津分校となる。1985年に長嶺小学校黒津分校が廃止され、黒津の教育の歴史は幕を閉じることとなった。

八幡神社

古くから黒津の氏神は八幡神社であり、神社の境内には黒津を拓いた人物とされる斯波五郎左衛門の墓と伝わる宝篋印塔が現在でも残されてる。この塔は、大正時代に黒津の住人が集落の付近で掘り出したもので、バラバラの状態で発見されたものを組み合わせて現在の場所に祀ったという。

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