花井集落(けい - しゅうらく)
花井集落は三重県熊野市に存在する廃村である。もとは九重の一部であった花井は、1666年に九重から分かれ、花井村となった。古くから良質な紙の産地として有名であり、花井で生産された紙は花井紙と呼ばれ、主に大阪方面と取引が行われていた。実際に17世紀の文書で花井紙を注文する内容のものが発見されており、良質な花井紙の存在がこの地域に広く知れ渡っていたことが伺える。しかし、洋紙が輸入され始めたことで和紙の需要は徐々に低下し、明治の終わりには花井紙の生産も殆どなくなり、現在では完全に失われた文化となっている。この和紙の製法を伝えたと言われる尼僧の伝承が残されており、近隣の百夜月との関連性も窺える。
この場所の年表
鎌倉時代 | 鎌倉時代には既に存在したとされる |
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慶長年間 | 伝承ではこの頃に元は美濃国高須城城主の息女であった尼僧がこの地で吉祥寺を開き、和紙の製法を伝えたといわれている |
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1666年 | 九重から分かれ、花井村となる |
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1984年 | 車が通行可能な道路が開通、三重県からのアクセスが可能となった |
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2011年 | 最後の住人が死去し、廃村となる |
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主なランドマーク
吉祥寺
新宮市にある成林寺の末寺にあたる。伝承では花井紙を伝えた尼僧が開いたとされ、寺の裏山にはこの尼僧の宝篋印塔が残されている。寺の山門は元は百夜月にあった紅梅寺の裏門であったと伝わる。明治初期には無住寺となった。2022年現在でも元住人によって大切に管理されており、彼岸には祭りも行われている。
尼僧の墓
寺にはこの人物が1626年に没したことを示す位牌と宝篋印塔が現在でも残されている。宝篋印塔に関しては裏手の墓地にひっそりと建立されている状態である。このことからこの人物が単なる伝承の登場人物ではなく、実在した人物であった可能性が高いことを示唆している。