宇連集落(うれ - しゅうらく)

現在の愛知県北設楽郡にかつて存在した集落。宇連川の最上流部に位置し、周囲とは隔絶された地勢にある。

その歴史は古く、縄文時代の土器がこの地区で発見されており、その時代から人の営みが認められる。また、室町時代のものと思われる一石五輪塔が周辺で発見されており、当時から信仰を集めていたようである。

完全に無人となった正確な年代は不明だが、町誌にある記録から推察するに、1970年代後半~80年代前半の間ではないかと思われる。

町誌によれば、盛期には25戸ほどの人家があったと記録されているが、2021年8月時点では建物は殆ど残っておらず、わずか数軒が辛うじて現存している程度である。また、2020年頃までは分校跡が残っていたが、これも現在では完全に崩壊し、瓦礫の山が残るのみである。

この場所の年表

縄文時代 縄文時代の土器が周辺で発掘されており、この時代から人の営みがあったことが判明している
室町時代 周辺で室町時代のものと思われる一石五輪塔が発見されており、集落の開発に纏わるものではないかと言われているが、詳細は不明である
1837年~1877年 この時期に戸数が激減、天保の大飢饉による影響だと思われる
1947年 住民の待望であった分校設置が認められ、振草村立神田小学校の宇連分校が発足
1950年頃 住民の分家や、製炭者の流入により人口が急増、集落の盛期を迎える
1956年~1959年頃 町村合併促進法により、どの町に合併するかで集落内で諍いが発生、徐々に人口が減少し始める
1967年 宇連分校が廃校となる、この時の集落の戸数は僅か4戸であった
1980年前半頃 恐らくこの時期に無人の地となる

主なランドマーク

阿弥陀堂

集落の入り口付近にあるかなり小規模の阿弥陀堂。

お堂の横には馬頭観世音などが建立されているが、いずれも小規模である。以前はお堂内に仏像が祀られていたようだが、2021年8月時点では荒らされたのか、お堂内はもぬけの殻となっている。

かつてはこの地区にも寺があったと伝わるが、現在は地名として伝わるのみである。

諏訪神社跡

祭神は建御名方命で、これは平安時代の観請と伝わるがその真偽は不明である。

宝物は三寸五分の鎌と矢一束だと伝わり、現在は鳳来町河合の諏訪神社に移管されているという。参道入口付近の巨大な岩の上に牛頭天王の碑があり、夏祭りの際はここで花火などをしたという。

境内には本殿のほか、嗽盥、1693年に奉納されたと伝わる灯篭などが現存している。神社は完全に放棄されているように見受けられたが、建物自体は未だしっかりと残っており、宇連集落の数少ない現存する建築物の1つである。


神田小学校宇連分校

1947年に神田小学校の分校として開校、20年後の1967年に閉校。閉校当時の児童数は僅か3名だったという。

2020年までは建物が現存していたようだが、2021年8月時点では完全に崩壊し瓦礫の山と化している。町誌によれば、当時は教師が1人しかおらず困難を極めたが、集落全体が教育に取り組んだ。その様子は「山の分校」として度々マスコミにも取り上げられたという。

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