2021/09/03

【廃村】宇連集落 – 隔絶された土地で暮らした人々の痕跡を追う

どうも、historicaの安藤です。今回の現地レポートでは愛知県北設楽郡にある宇連集落をご紹介します。愛知県は馴染みのある県なのですが、北設楽郡というのは殆ど行ったことがなく、どんなところか全く分からない未知の土地でした。地図を見てもそのほとんどが山、と言った具合でこの地域も過疎化が問題になっているようです。

historicaとしては今後こう言った地域の魅力なども発信していけたら良いなと思いますが、それはまたの機会で。今回はこの北設楽郡にかつて存在した、宇連集落という廃村に取材に行きました。

険しい山道をひた走り宇連集落へ

宇連集落へは宇連川を上流までひたすらに遡っていくことになります。途中には宇連ダムがあります。余談ですが、このダムは2019年に貯水率が0%になったことで話題となりました。また、枯渇したダムの底から、ダム建設に伴い水没した、集落が出現したことで更に話題となり、1日で900人以上の観光客が訪れたようです。

宇連川に沿ってしばらく走ると集落への入り口となる分岐路が現れます。前日まで雨続きの天気でしたが、この日の天気は奇跡的に晴れ、historicaのスタッフには晴れ男がいるに違いないですね。

林道
宇連の林道

宇連集落への道のりは過酷、今は地図に載っていない山道が続く

集落へと続く道路は地図にも載っておらず、かなり荒れ果てています。落石や倒木が道を塞いでいるのは当たり前で、その度に車から降りて石や倒木を退かしながらの移動。雨の日などはもちろん危険ですし、少し判断を誤れば谷底へ真っ逆さまな道ですので、正直あまり訪れることはお勧めできません。スマホの電波も一切通じないため何かあった時に助けを呼ぶこともできません。少なくとも1人で訪れるのだけは絶対にやめた方が良いでしょう。

やっとの思いで宇連集落へ到着、早速探索していく

安全に十分注意しながらさらに進んでいくと、現在は廃村となった宇連集落が姿を現しました。村の入り口付近には林道の竣工記念の碑が建立されています。碑には設楽町長であった原田 進の書とあります。この原田 進という方は1970年代に設楽町の町長だった方のようなので、これはおよそ50年前の碑だということになります。

そこからさらに進んでいくと、いかにも何かが祀られていそうな祠のようなものを発見。かなり小規模ではありますが、これはどうやら阿弥陀堂のようです。以前は中に仏像が祀られていたようですが、2021年8月時点では中は荒れ果てており、仏像もどこかへ持ち去られているようでした。

竣工記念碑
1970年代に建立されたと思われる竣工記念碑
阿弥陀堂
道端にぽつんと建立された阿弥陀堂
どこかへ持ち去られた仏像
中身は既になく、どこかに移管されたか持ち去られたと思われる

宇連集落の信仰の中心、諏訪神社へ

諏訪神社へ続く橋
諏訪神社へ続く橋、神社は宇連川を挟んだ対岸にあります

今回の取材の目的の1つであった神社跡はすぐに発見できました。神社は宇連川を挟んだ対岸にあり、どこか神秘的な雰囲気が漂う素敵な場所でした。神社は長らく放置されているようでしたが、建物や灯篭などは現存しており、特に本殿は他の廃屋と比べると綺麗な状態に見えました。こういった廃村でも神社などの信仰の場は、無人となった後もたまに人が訪れて管理されている場合が多いので、この諏訪神社も最近までは誰かが管理していたのかもしれません。

諏訪神社の鳥居
朽ちつつある鳥居には諏訪神社とある

神社に今も残る遺物の数々に感動

参道脇の岩の上には牛頭天王の碑があります。町誌によると、かつては祭りの時などにこの辺りで花火をしたとあります。これを目にしたとき、集落の在りし日の情景が目に浮かぶようで、なんだか切ない気持ちになってしまいました。今は廃村となったこの場所にも、確かに人々の笑顔が溢れた時代があったのです。

牛頭天王の碑
牛頭天王の碑

本殿へ続く参道の脇には嗽盥(うがいだらい)が、この嗽盥に纏わるエピソードは宇連集落の歴史を解説したコラムでも紹介していますので、そちらの記事もチェックしてみてください。

記録によるとこの諏訪神社は平安時代の勧請とのこと。これが真実であるならば、1000年近い歴史のある場所ということに。また、境内にある灯篭も17世紀のものらしく、僻地の集落にここまで歴史的な遺物が、あるがままに放置されているのは驚きです。

正面から見た諏訪神社
正面から見た諏訪神社
参道脇の嗽盥
参道脇の嗽盥
17世紀のものと記録の残る灯篭
17世紀のものと記録の残る灯篭

宇連分校跡を目指して神社とは反対の方角を進む

神社を後にし、次の目的である分校跡を目指します。分校は神社とは真逆に位置しているため、来た道を戻ります。神社へ向かう道の途中には小屋がありますが、これも放棄されている様子。おそらく管理用に建てられた小屋なのでしょう。小屋の場所からしばらく進むと分校が見えてきました。

分校へ向かう途中にある放棄された小屋
分校へ向かう途中にある放棄された小屋
分校へ向かう途中にある放棄された小屋 (後ろ側から)

現在は崩壊した神田小学校宇連分校

事前にネットで情報収集をしている段階で、どうやら去年までは残っていた分校が倒壊したらしいという情報は仕入れていたのですが、その情報は正しかったようです。分校跡として残っていた2軒の建物は両方とも倒壊しており、現在は瓦礫の山が残るのみとなっていました。できればかつて子供たちの笑顔が溢れていたであろうこの場所が健在の内にカメラに収めたかったのですが、それは叶いませんでした。しかしながら完全にこの場所が風化する前に、かつて宇連集落という場所に分校があったのだという痕跡だけはここに記しておきましょう。

現在は崩壊したかつての校舎
その様子から屋根から抜け落ちたことがうかがえる
校舎の中に残されていたであろう遺物を見ることは叶いません

ヤマビルの恐怖

分校まで来たところで、historicaスタッフの一人である岡安に異変が。なんと足にびっしりヤマビルが吸い付いており、大出血していました・・・。慌てて私の足元も確認してみると案の定、数匹のヒルが吸い付いていました・・・!痛みも痒みも全くなかったので全然気づかず、1時間近く血を吸われ続けたことになります。ヤマビルのステルス性能に脱帽です。しかもヒルは血液が凝固しない分泌液を出すようで、全然出血が止まらず阿鼻叫喚となりました。もし、この場所に訪れる人は長めの靴下と、地の厚いしっかりとした靴を履いていくことをお勧めします・・・。

ヒルがトラウマとなった岡安

宇連集落を訪れた感想

今回は宇連集落を訪れましたが、やはりどんな場所にも人々の生きた痕跡がありありと残っており、当時の人々の営みを想像しながら集落を歩いてみると、何とも言えないノスタルジーな気持ちになります。宇連集落に関しては場所も僻地で、なかなか現地まで訪れる方はいないと思いますので、historicaで今回紹介できたことを嬉しく思います。上でも紹介しましたが、この集落のことをもっと知りたくなった方は、別のコラムもチェックしてみてください。それでは、また次回のレポートでお会いしましょう。

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