2021/09/20

天空の廃集落 – 夏焼集落を取材しました

今回は静岡県浜松市にある夏焼集落を取材してきました。夏焼集落は2015年に最後の住人が離村して以降、無人の廃集落となっており、割と最近まで住人がいたことが分かっています。その歴史は古く、集落は16世紀ごろに拓かれました。4月に焼畑をしたので「夏焼」と名付けられたと伝わっています。この辺の歴史は夏焼集落の歴史コラムで詳しく解説しているので、気になる方はそちらもチェックしてみてください。

そんな夏焼集落は山の斜面に沿って構成されており、天空の集落と呼ぶに相応しいロケーションとなっています。そんな見た目のインパクトもあり、廃村マニアの間では割と有名な集落のようです。集落の上から天竜川を望む景色はまさに絶景で、取材班一同、しばらくその景色に見惚れてしまったほどでした。それでは、ここからは我々が取材してきた集落の様子を順に紹介していきたいと思います。

今回から撮影機材も一新して取材に挑みます!

大嵐駅から夏焼第二隧道を経て夏焼集落へ

夏焼集落は、大嵐駅から夏焼第二隧道を1.2kmほど進んだ先にあります。 集落のすぐ近くには大嵐駅があるので、通常の廃村と比べると比較的アクセスし易い環境と言えるでしょう。とは言え山間部の辺境には違いないため、あまり軽装で行くことはやはりお勧めしません。

夏焼集落へのアクセスについて

夏焼集落へ行くには、主に2つの方法があり、1つ目が車で訪れる方法、2つ目は電車を利用する方法です。まず、車で訪れる場合ですが、集落の手前まで車で乗り付けることができるため、比較的容易に集落まで辿り着くことができます。ただし、最寄りのインターからは30kmほど山道を走り続ける必要があり、途中の山道もところどころ状態の悪い場所があるため、運転に不慣れな方にはあまりお勧めはしません。因みに今回取材班は車で訪れました。

2つ目の電車を利用する方法ですが、集落の近くには大嵐駅という無人駅があるため、車で来られない方は電車で行く方法を選択することになるでしょう。ただし、本数はかなり少ないため、事前に行きと帰りの時間を確認しておくことをお勧めします。大嵐駅から夏焼集落へは、必ず夏焼第二隧道を通る必要があります。この隧道の全長は約1.2kmほどあるので、歩くには少々長い距離なうえに、隧道内は昼間でもほぼ暗闇なため、徒歩の場合はなかなか過酷な道のりとなります。幸い、大嵐駅には無料のレンタルサイクルが設置してあったので、電車で訪れる方はそれを利用すると良いでしょう。

無料のレンタルサイクル

大嵐駅について

大嵐駅は1936年12月に建設され、現在はJR東海が管轄する飯田線沿いの駅です。主な利用者は天竜川の対岸にある富山村の住人で、現在も同村の住人たちの奉仕によって管理されているようです。夏焼集落の住人も日用品などの買い出しの際は、この駅を利用して最寄りの町である水窪町まで出掛けたそうです。確かに辺境の無人駅にしては綺麗に管理されており、駅舎の中には観光地によくあるスタンプが設置されていたりと、居心地の良い空間になっていました。また、思っていたより訪れる方も多いようで、この日もツーリングの方々などで賑わっていました。

正面から見た大嵐駅
駅舎内に設置されている記念のスタンプ

通称おばけトンネル – 夏焼第二隧道について

夏焼集落を外界へと繋ぐ唯一のルートである夏焼第二隧道ですが、地元の住人からは通称「おばけトンネル」と呼ばれているようです。ここを通ってみるとその名にも納得。中は真っ暗で歩いて行くには少々不安な気持ちになります。幸い我々は車で訪れていたので、ものの数分でトンネルを通って集落の手前まで辿り着くことができました。

夏焼集落の入口に到着、いざ集落内へ

車を降りて集落へは10分ほど歩いていく必要があります。廃村へ訪れるたびに思いますが、集落へと続く途中の道はどこも神秘的で、心休まる気持ちになります。もう既に役目を終えつつある場所が、時とともに自然と一体となっていく過程には何とも表現しがたい美を感じ取ることができます。そんな感情を抱きつつ、集落へと向かって進んでいきます。

ほぼ登山!過酷すぎる夏焼集落への道

集落へは基本的に坂道を登っていく必要があるので、なかなか体力を消耗します。途中には、この集落の環境から考えると、大いに活躍したであろうモノレールや、朽ちた自動車やバイクなどが放置されていました。しばらく進むと、集落の中心部へと続く石段が現れるのですが、そこからの道のりが本当に過酷でした。石段は傾斜がかなりきつく、ほとんど登山をしているような感覚です。この集落最後の住人は年配の女性だったようですが、日常的にこの道を通って町まで買い出しに出掛けていたと言うのだから本当に驚きです。

放棄され朽ち果てた車
この集落の特徴でもあるモノレール

ヘトヘトになりながらも、ふと視線を天竜川の方へ移すと、息をのむような景色が広がります。集落から天竜川を望む景色は、疲れも吹っ飛ぶぐらい絶景でした。最後の住人だった年配の女性は、毎日たった一人でこの美しい景色を眺めながら何を思ったのでしょうか。そんな想像をしていると言いようのない感傷的な気持ちになりました。

集落の上から天竜川を望む

やっとの思いで夏焼集落の中心部へ到着

しばらく登っていくと、集落の中心部と思われる場所に辿り着きました。集落の殆どの建物はこの辺りに密集しており、現在でも5~6軒ほどの民家が残っていました。数年前まで居住者がいたこともあり、建物の状態は良く管理されており、人が住んでいると言われても不思議ではないぐらい綺麗な状態でした。集落全体は山の斜面にあるため、少しでも足を踏み外すと崖下に落ちてしまうような場所も多く、ここで暮らすのは毎日危険と隣り合わせだなと感じました。

建物はどれも崖沿いに建っている
集落の路地はどこも狭く階段も急だ

周辺を探索してみることに

ここまで来るのに体力もかなり消耗したので、しばらく休憩をしながらのんびり周囲の民家を見て周ることに。この集落はロケーションも相まって、度々素敵な風景に出会うことができます。まるで物語の主人公が暮らしているような、そんな非現実感さえ感じられ、これまで訪れた中でも特に印象深い廃村となりました。

集落上部へ続く石段
集落の中心部から天竜川を望む
集落の路地

夏焼集落のさらに上層へ、諏訪神社へ至る

集落の中心部からさらに登っていくと、そこには諏訪神社があります。夏焼集落の神社は少し特殊で神社のお社のほかに、仏様も同じ場所に祀られているんですね。普通、仏は寺に祀られているはずですが、この集落に寺はありません。不思議に思い調べてみると、こんな背景がありました。

佐久間ダムの建設時、この周辺の集落が湖底へ沈むことが決定し、そこの住人も集団移住を余儀なくされました。その際にこのままでは一緒に沈んでしまうからと、各集落で祀られていた神様や仏様が夏焼集落の神社に移されてきたようです。だから夏焼の神社には神様も仏様も分け隔てなく、同じ場所に祀られているというわけですね。

故郷は湖底に沈んでしまっても、せめて神々だけは沈ませまいと行動した当時の住人たちにとってもまた、この夏焼集落は思い入れのある場所に違いありません。そんな集落の歴史を知ることで我々もまた、人々が紡いだ歴史の尊さを再認識することができました。

正面から見た諏訪神社
お社前に設置された奉燈
神社の境内に祀られた仏像

夏焼集落についてまとめ

今回訪れた夏焼集落は、その景色の美しさもさることながら、近年まで人が暮らしていたこともあり、当時の住人の様子を資料から読み取ることができました。愛する故郷を離れる住人の気持ちや、最後まで集落に残り生活した人の気持ちを僅かばかりでも伺い知ることができ、歴史の尊さというものを再確認することができました。

この集落のより詳しい歴史については、別のコラムでも紹介する予定ですので、気になる方はぜひそちらもチェックしてみてください。それでは、また次のレポートでお会いしましょう。

夏焼集落にて

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