2022/06/02
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岐阜の奥地で鹿の猟師さんに出会った – 仲越集落を取材
今回は岐阜県山県市の神崎地区という場所にある仲越集落を取材しました。先日ご紹介した同市の円原地区に隣接する神崎地区には、円原と同じく清流に恵まれた美しい自然風景が見られます。しかし、この場所も過疎化が進んでおり、集落にはほとんど人の姿はありません。今回は、偶然にも集落で狩りを続ける猟師さんと出会い、自然と共に生きる人の姿を垣間見ることができましたので、取材レポートをお届けします。
目次
仲越集落へのアクセス
仲越集落は、神崎川の最上流部にある集落。県道200号線の終点付近に位置しています。この県道は土砂崩れなどで度々通行止めになるようなので、訪れる場合は落石には十分注意する必要があります。かなり山深い場所で熊注意の看板もチラホラ見かけたので熊鈴も持っておくと安心でしょう。
集落へはほぼ一本道なので迷うことはありませんが、道幅は狭く車一台が通れるぐらいの広さしかありません。道路は荒れており、崖際の場所も多いので運転には十分注意する必要があります。
通行止めの場合もあり、道の状況には注意
このあたりは豪雪地帯ということもあり冬季は通行止めになるようです(我々が訪れたのは11月でした)。そのため、冬は集落にも人がいない状態に。集落に向かう山道にはガードレールがついていない崖っぷちの道が多いため、路面の状態や天候には十分注意したいですね。
岐阜の奥地にひっそりと存在する仲越集落
人の気配はなく、崩れかけた建物も多い
さっそく集落の探索を始めます。historica取材班が訪れた際には人の気配はなく、倒壊寸前といった状態の建物が目立ちました。集落は古い家屋と雑木林で構成されている印象で、雑木林の中もよく調べてみると家の基礎など住居があった痕跡が見られました。
現存する家屋は数軒ですが、雑木林のエリアもかつては人が暮らしていたと考えるとそこそこの世帯数があったのではないかと推測できます。住民の方の話によると、現在では1名のみがここに籍を置いて生活をしているそうですが、冬季はやはり無人になるようです。
廃校を再利用した公民館
集落を進んでいくとほかの家屋とは雰囲気の違う木造の建物がありました。どうやら、公民館のようです。調べてみると、昔は学校として使われた歴史もあることが分かりました。住民の方の話によると、かつては公民館の前で大々的な盆踊りが毎年行われたのだとか。
姥神社を散策していく
公民館の隣、山の斜面に神社を発見。鳥居をくぐるとすぐ階段があり、階段を登ったところに社がありました。全体的に綺麗に保たれており、管理がされている様子が確認できます。階段は急になっていて鳥居と社にかなりの高低差があり、独特な雰囲気が漂っています。
この神社は姥権現という神様を祀っているそうで、女性や子供の幸せを願う神様なのだとか。姥神社は全国に点在していますが、あまり数は多くなく、なかなか珍しい部類の神社ではないでしょうか。
この日同行していたhistoricaメンバーのジョシュは日本の仏閣マニア(ただの観光好き)でもありますが、彼もこの姥神社の独特な雰囲気を大変気に入ったようで、夢中で写真撮影をしています。日本人でも滅多に訪れることのないこのような廃村は外国人にとってはなおさら物珍しいのでしょう。
元住民の方に遭遇
探索を続けていくと、年配の男性の姿を発見。さきほどまではまったく人の気配がなかったので、まさか人に会うとは思っていませんでした。集落についての情報が得られるかもしれないので、声をかけてみることに。
出会った男性は集落出身の猟師さんだった
お話を伺ってみると、なんと仲越集落の出身の猟師さんであることが判明しました。現在は別の場所で暮らしているものの、ご家族や生業の関係で集落にはよく戻ってきているとのこと。猟師という生業も気になりますが、まずは集落の暮らしについて聞いてみます。
集落の暮らしについて
この集落の住民は総じて山仕事や炭焼きで生計を立てていたと言います。農業としては畑仕事があり、現在杉藪となっている山はすべて美しい段々畑だったと言います。この集落でも例にもれず、使われなくなった土地に杉が植樹され、40年の時を経て現在のような杉林になっているのだとか。
この集落は戦後の高度経済成長に伴い、過疎化が一気に進行し、住民の人達は仕事を求めて都市部に出て行ってしまったと言います。豪雪地帯での不便な暮らしと過酷な山仕事は、戦後変わりゆく生活様式にはそぐわなかったのでしょう。
更に詳しい内容は現在youtubeチャンネルで配信中ですので、気になる方は是非チェックしてみてください。伊勢湾台風のお話など貴重なお話が盛だくさんです。
また、以前取材させて頂いた根尾地域の集落とも深い繋がりがあるようで、お父さんの先祖様も越波集落から養子としてこの仲越にやってきたのだと言います。そんな根尾地域についても記事として取り上げていますので気になる方は下記をご覧ください。
憎き鹿との闘い、そして次世代に繋ぐ想い
続いてこの方が猟師になった経緯を教えていただきました。もともと学校があったという跡地に、未来に遺すという思いを込めて紅葉の木を植えられたそうなのですが、それがすべて鹿によって食べられてしまい、全滅してしまったのだとか。その怒りをバネに猟師の免許を取得し、現在では年間40頭もの鹿を捕っているのだと言います。
この年齢で新しい資格を取得するというのは並大抵のことではないですし、この方の故郷を想う心が痛いほど伝わってくるエピソードでした。因みに鹿を1頭捕ると1万5千円の補助金が市から貰えるそうですが、その大変さを考えると十分な報酬とは言い難いかもしれませんね。
仲越集落の子供たちが通ったという学校跡へ
猟師さんが木を植えているという学校跡に行ってみることに。仲越集落からは少し離れた場所にありますが、車であれば5分ほどで着きます。
広い更地にポツンと建つ謎の小屋がある場所です。もともと学校があった場所なので敷地は広いですが、渓谷になっており校庭周りは崖。谷底には川が流れており川の音がごうごうと響いていましたので、当時の学校の先生は大きめの声で授業する必要があったと思います、きっと。
この小屋は、おそらく学校とは無関係ではないかと推測しています。きっと管理用の山小屋か何かでしょう。校舎は綺麗に取り壊されてしまったようで、遊具等も何も残っていない状態でした。
猟師さんが植えたというもみじの苗木も鹿に食べられないようにネットで守られています。これならきっと鹿に食べられる心配もないことでしょう!苗木は、広場を取り囲むように丁寧に植えられており、これらが大きく成長して赤く染まる景色はきっと素敵だろうと思いを馳せてしまいました。猟師さんの故郷を思う気持ちが素晴らしいですね。その想いはきっと次の世代へ届くことでしょう。
まとめ
今回は岐阜県山県市にある仲越集落についてご紹介しました。現地住民の貴重なお話を伺う機会にも恵まれ、大変有意義な取材になったかと思います。廃村となった後も集落を想う住民の方々の生の声や、かつてここであった出来事について、今後実際に聞ける機会はどんどん減っていくことでしょう。
我々historicaはそんな貴重なエピソードを後世に遺していくとともに、学校のグランドに植えられた苗木が将来立派に育っていくように、微力ながらも見守っていきたいと思います。
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