谷山集落(たにやまし - しゅうらく)

谷山集落は岐阜県揖斐郡にある廃村である。現在も、元住民が時折集落へ訪ねてきており、比較的新しい家屋も数軒立ち並んでいる。明確な理由は不明だが1967年に集団移住により廃村になっており、恐らく岐阜県内の他の廃村の例に漏れず、高度経済成長に伴う過疎化や、雪害による生活の不便さなどが挙げられるだろう。

元は現在の滋賀県東近江市君ケ畑町辺りに住んでいた人々が、1190年頃にこの地に移住してきたのが始まりと言い、良質な木材に恵まれたこの谷山周辺の地が居住地に選ばれたのだと伝わっている。

この場所の年表

1190年 現在の滋賀県東近江市君ケ畑町辺りに住んでいた人々が、この地に移住する
1292年 尾張、美濃、近江奉行であった池田大和守次朗源氏綱二世より槍一筋を賜る
1573~1591年 織田信長の命により各地の仏閣が焼かれる。この時、佛照寺の住職が谷山の縁故を頼り、本尊と共に難を逃れた。その際に一時の堂を建て本尊を安置した。乱が収まり住職が帰郷すると、それ以後、堂は佛照寺の道場となった
1784~1787年 4年に及ぶ大凶作により、餓死者が多く出た
1888年 集落に大火があった
1948年 集落に初めて自家発電装置が設置される。出力3キロワットであった
1960年 谷山分校改築、校舎落成
1967年 谷山集落が廃村となる。同時に谷山分校も廃校となる

主なランドマーク

白髭神社跡

集落の入り口付近の小高い丘にある古い神社跡。1700年時点の資料にはその存在が確認できる。集落の廃村と共に揖斐川町三輪神社に合社されており、社は既になく、現在は崩れた拝殿が寂しく残るのみとなっている。

谷山集落の石碑

2000年に集落の元住人が建立した石碑。石碑には集落の歴史が事細かく刻まれている。

古い民家の廃墟

集落の中でもひときわ古いと思われる民家の廃墟。隣には蔵の跡もあり、半分ほどがすでに崩壊している。

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