後谷集落(うしろだに - しゅうらく)

後谷集落は滋賀県多賀町にある無人集落である。霊仙山の西南、標高約400mに位置するこの集落の起源は定かではない。1933年にセメント工場が開業してからは、大きく発展し繁栄を見せたが、工場の閉業とともに急速に過疎化が進み衰退していった。

集落に企業が入った影響でインフラが整うのも比較的早く、周辺の集落から働きに来る人も多かったという。集落には社員用の社宅を始め、商店、電話、大浴場などの施設も充実していたといい、一時は周辺の集落とは一線を画す発展を遂げた。現在でも集落からは鉱山跡の遺構が確認できる。

この場所の年表

1393年 現在の光遍寺の前身である天台宗不卜庵明照寺が創建される
1506年9月7日 本願寺第9世である実如が北関東からの帰洛の途上、美濃の土岐で賊に襲われるという事件が起こる。この際、後谷と多賀の住人で構成された400人が出動し、救出したと伝わる
1889年 周辺八ヶ村と合併し、芹谷村となる
1933年 野沢セメント株式会社と後谷で石灰岩を採掘することを合意、工場の建設が開始される
1935年 セメント工場が完成し、操業が開始される
1943年12月8日 大火により光遍寺を含む集落の約半数を占める14棟が焼失した
1962年 林道後谷線が開通、初めて自動車が入る

主なランドマーク

光遍寺

浄土真宗本願寺派の寺院で、1393年に現在の光遍寺の前身である不卜庵明照寺が創建される。それより以前は天台宗不卜庵であった。1506年に後谷の住人を含めた有志が本願寺第9世である実如を賊の被害が救い出したことを機に、同年には実如が滞在し周辺の教化に努めたと伝わる。当時は現在の位置よりも30mほど上にあったと伝わるが、過去の大火によって焼失している。その後に現在の位置に再建されたが、1943年に再び大火が起こり焼失。現在の光遍寺は三代目にあたる。

後谷神社

祭神は応神天皇で、創建は不明である。昔から鳥居はなかったようで、恐らく過去の火災で焼失したのではないかと元住人の方は著書の中で語っている。1974年に雪害により社殿が倒壊したが、1976年に改修された。毎年、春祭りは4月15日、秋祭りは9月17日であった。秋祭りの際には多賀大社から司祭を呼びお祓いを行っていた。

鉱山跡

1933年に野沢セメント株式会社と後谷で石灰岩を採掘することを合意、工場の建設が開始される。その後1995年に工場が完成し操業が開始された。鉱山には周辺の村々からも従業員を雇い入れ、事業が軌道に乗ると後谷に社宅も建てられたという。時は流れ鉱山が閉山となると、多くの人は集落を離れ、集落は徐々に衰退していった。

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