男鬼集落(おおり - しゅうらく)

男鬼集落は滋賀県の彦根市にある廃村である。標高約420m地点に位置するこの山間集落は、今でも古き良き日本の風景を色濃く残しており、かつての人々の暮らしを現代に伝えている。古い記録では、8世紀中頃に奈良の興福寺の宣教が、霊仙山の麓に七ヶ寺を創建した際に、男鬼寺が建てられたという記録が残っており、これが集落の由来とされている。

明治時代の盛期には100人を超える人口と、約30戸もの人家があったといい、多賀方面への道路が開通するまでは、霊仙や榑ヶ畑の人々が彦根方面へアクセスする際の表街道沿いの集落として、行き交う人々で賑わった。生業は主に林業による製炭やゴボウ栽培、養蚕も盛んであった。戦後の高度経済成長に伴い、住民は生業を失い、若者も集落には定着しなかったことから、人口の減少が急速に進み、1971年には廃村となる。

この場所の年表

8世紀中頃 良の興福寺の宣教が霊仙山の麓に七ヶ寺を創建した際に、この地に男鬼寺を建てた
大正時代 信者の寄進により比婆神社の社殿が再建される
大正時代~昭和初期頃 「うた」と呼ばれる女性の霊能者が比婆神社へ訪れる。それ以降、湖東から湖北に至るまで比婆神社の存在が知れ渡り講が組織されるなど一躍有名となる
1891年 この地に分教場が設置され、その年に鳥居本尋常小学校と改称される
1971年 人口減少により廃村となる
1973年 空き家が彦根市教育委員会に期間契約で提供され、「男鬼少年山の家」が開校
昭和50年代 誓玄寺が廃寺となる
2002年 「男鬼少年山の家」が閉校となる
2021年 地元に大学生による集落復興の取り組みとして「男鬼プロジェクト」が発足

主なランドマーク

比婆神社

現在の祭神は伊邪那美大神である。正確な創建時期は不明

元は地元住民のみが信仰する素朴な山の神であり、長く女人禁制の地として「山神さん」と呼ばれ親しまれていた。しかし、昭和初期に「うた」と呼ばれる女性の霊能者がこの地に訪れたのを機に、女人禁制ではなくなり、このうた氏の影響下で湖東から湖北に至る広い地域に比婆神社の講が組織されていった結果、現在に至るまで多くの信者の信仰を集めている。

日枝神社

集落内に存在する神社で祭神は大山咋命である。創祀年代は13世紀初期頃とも伝わる。
現在も集落の元住民の手によって綺麗に管理されている。

男鬼少年山の家

男鬼少年山の家は1973年に開校され、市内小学生の自然体験学習の場として2002年まで使用された。集落内にはログハウス風の建物が現在でも残されている。近くの空き地には地元の小学生たちが記念に残したと思われる碑が残されている

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