2021/08/24

【廃村】美しい清流の流れる廃村 – 椿集落を取材 その1

どうも、historicaの安藤です。
historicaの現地レポートでは、我々が実際に訪れた場所の情報や写真をお届けしています。

今回訪れたのは岐阜県山県市にかつて存在した、椿集落です。
”かつて存在した”と表現したのは、この場所が今はもう廃村となってしまっているからです。

ネット上で廃村と調べれば、何故か無理やりオカルトと結び付けたようなコンテンツがズラリと並びますが、私たちが今回訪れたこの椿集落は、美しい川の流れと豊かな自然に囲まれた素敵な場所でした。

この場所に限らず、今は廃村となってしまっている場所にも、かつてはそこで生活していた人々の歴史が存在します。これはとても尊いもので、決してオカルトと結びつくようなものではありませんよね。

我々historicaは、そんな人々の想いや歴史に敬意を払いながら、それを価値のある情報として皆さんにお届けしていきます。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題に入りましょう。

いざ、椿集落へ

集落へ続く道
椿集落へと続く道路

村の入り口までは車で進入ができます。普段は通行が殆どないことから、道路も自然に飲み込まれつつあり、中々の悪路だったので安全運転を心掛けながら入口まで辿り着きました。

この日は快晴だったのですが、山奥のためか湿度がかなり高く、村へ続く道路も、山から常に湧き続ける湧水によってかなりぬかるんでいます。もし現地を訪れるのであれば、割としっかりとした靴で行かないと後悔することになるでしょう(長靴でも良いぐらい)。また、大自然に囲まれているだけあって、昆虫がそこら中を飛び回っているので虫よけスプレーなどもあると良いかもしれませんね・・・。

ぬかるんだ道
道はかなりぬかるんでいる場所もあるので注意が必要

この日はたまたま、この地区の管理を請負っているという業者の方々とお会いしました。話を聞くと定期的に草刈りをしたり、廃村となった今でも最低限の整備は行われているとのこと。また、現在でもかつての住人や、子孫の方々がお墓参りなどで訪れているようで、集落を出た後も、この地を想う元住人の方々がたくさんいることを知りました。

最初の建物と椿集落の人家分布図を発見

村の入口へ

村への道は、常に川の流れに沿って続いており、美しい川の流れと、虫たちの音色を聴きながらこれぞ日本の夏と思わせるような、どこか懐かしい雰囲気にとても癒されました。

川の水も驚くほど澄んでおり、魚も外敵に脅かされることなく悠々と泳いでいます。

美しい川の流れ
川の水は驚くほど澄んでいる

しばらく歩いていくと、最初の建物が見えてきました。
朽ちてはいますが、まだしっかりと原型を保っており、民家というよりかはどこか管理用の施設といった感じ。立ち入り禁止となっていたので、中には入れませんでしたが、長いこと使用はされていない雰囲気でした。

最初の廃屋を発見
椿集落に入って最初に出会う建物
廃屋①
長い間使用されてない様子
立ち入り禁止の看板
施設内は立ち入り禁止です

さらに進むと、村の人家分布図が彫られた石碑がありました。いつの時代の分布図かは記載がなかったので分かりませんが、当時は67戸もの人家が存在し、それなりに規模の大きな集落だったことが分かります。石碑にはその他にも神社・寺・学校などの場所も記されています。

椿村の人家分布図
椿集落の人家分布図、いつの時代のものかは不明

とりあえずは神社を目指して進むことに。途中いくつかの廃屋はありますが、石碑に記されているほどの軒数はありませんでした。既に殆どが朽ちて風化してしまったのでしょう。バイクや農具といった当時の生活を思わせるようなものも多く見受けられ、まるで時が止まったような、不思議な感覚になりつつ神社に到着しました。

廃屋②
崩れかけた廃屋
放置されたバイク
放棄されたバイク

椿集落の聖地、神秘的な雰囲気の漂う阿賀多神社へ

神社は50年も前に無人となったとは思えないぐらい、整然としており、時折管理のために人が訪れているように思われました。手水舎、賽銭箱、狛犬、拝殿、本殿などが現存しておりますが、さすがに木造である 拝殿と本殿 は長い年月を経て徐々に朽ちつつあります。

阿賀多神社
阿賀多神社へ到着
阿賀多神社の石碑
鳥居付近にある石碑
阿賀多神社の水場
嗽盥と思われるもの

また日露戦争時の従軍記念碑や、寄進札板など当時の様子を思わせる貴重な遺物も多く残されていました。朽ち往く雰囲気も相まってか、霊験あらたかな素晴らしい場所だと感じました。

椿村の従軍記念碑
従軍記念碑、日露戦争時のもの
阿賀多神社の本殿
本殿、立ち入るのは憚られたので見るだけに
阿賀多神社の狛犬
境内にある狛犬

独特な雰囲気の民家、いちり孫の家

神社を後にし、しばらく歩いていくと特徴的な建物と出会いました。建物の外壁には看板のようなものが設置されており、そこには「いちり孫の家」とあります。建物の造り自体は、他のものに比べると比較的新しいもののように見え、別荘やゲストハウスといった雰囲気の作りでした。

いちり孫の家①
いちり孫の家の外観、ベランダのようなものが確認できる
いちり孫の家②
建物の周りには廃材や機材が山積みにされている

その他に家族写真?と思われる大きな白黒写真も飾られており、これはかなり古いもののように見えました。建物の所有者のご先祖の写真かな?とも思いましたが詳細は不明。敷地の近くには墓もあり、いろいろと考えさせられるロケーションでした。

いちり孫の家に飾られている写真
家族写真?と思われる古い白黒写真
打ち捨てられた農機具
敷地内に放置された農具のようなもの

自然還りつつある場所、椿分校跡

いちり孫の家から少し先には椿分校跡があります。現在はかなり荒れ果てていて、建物自体は跡形もなく、一帯にはかなり草が生い茂っており、敷地に入るのも一苦労でした。敷地内にはさび付いた遊具と、フェンス、記念碑があるのみとなっています。

椿分校の跡
分校跡に到着
椿分校後の敷地内
分校の敷地内に僅かに残された遺構

記念碑には分校の年表が刻まれており、これを見ると、時代を経て何度か名称が変わっていることがわかります。そして最終的には、住民の集団移住に合わせて1971年に閉校となったようです。

椿分校後の遊具
朽ちて錆びた遊具がかろうじて残る程度である
椿分校後のフェンス
錆びて朽ち果てたフェンス
椿分校後の記念碑
分校の年表が刻まれた記念碑

集落はまだまだ続きますが、今回はここまでとさせていただきます!
続きは下記の記事からご覧ください。

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