2022/06/02
入谷集落の歴史 – 霊仙山の麓に栄えた山間の集落2021/10/06
門谷集落の歴史 – 16世紀から続く由緒ある土地
今回は門谷集落の歴史について解説していく。門谷集落は静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家の山間に位置する廃村である。廃村となった正確な年代は不明である。集落を訪れてみると土地は未だによく管理されており、定住者はおらずとも農地として頻繁に人が訪れているようであった。
門谷集落の成り立ち
熊谷家伝記によると、熊谷貞直という人物が大里の地に留まっている折に刑部大夫(古代日本の官職のこと)の娘と一子をもうけ、桃太郎直重と命名した。その後、この直重は角谷(門谷)を拓いたが、子に恵まれず坂部二代目熊谷直常の子、五郎大夫を養子に迎え自分の跡を継がせたという。後にこの地は門谷と名称を改め、現在に至る。
夏焼集落との関連性について
門谷からほど近い場所にある廃村、夏焼集落の開郷には時の門谷郷主である熊谷五郎四郎という人物が関わっている。この五郎四郎が直重の代から数えて何代目に当たるかは不明である。記録によると戦により落ち延びた知久氏の娘に夏焼の地を譲り渡したという。詳しくは下記夏焼集落の歴史を参照のこと。
門谷集落の生活について
この辺りの集落の生活については、町史に江戸時代の記述が残されている。江戸時代においてこの地域の人々は全部百姓であり、医者、商人、大工も必ず農業を行っていた。この地域には検地の対象となりえる通常の耕地が極めて少なかったために、大抵の人々は焼畑を盛んに行い、日々の食料を賄っていたという。1676年の記録によると、門谷集落だけで74枚もの焼畑があったという。門谷集落の石高については、明治13年の記録では凡そ12石程度である。
家数と人口について
門谷集落の家数と人口についての記録は以下のとおりである。
時期 | 戸数 | 人口 | 男 | 女 |
1677年 | 9 | – | – | – |
1713年 | 7 | – | – | – |
1808年 | 9 | 44名 | 24 名 | 20名 |
1920年 | 23 | 119名 | 63名 | 56名 |
門谷分校について
門谷分校は1894年に奥山尋常小学校門谷分校として開校し、1970年に児童数が0となり閉校となっている。以下は門谷分校の主な年表である。
年代 | 出来事 |
1893年11月12日 | 新築として着工。大工、神原、鈴木久作、水窪坂口宮蔵 |
1894年1月15日 | 奥山尋常小学校門谷分校として開校 |
1895年6月4日 | 奥山村立奥山尋常高等小学校門谷分教室と改称 |
1911年5月13日 | 校地を拡張、校舎ならびに教員住宅を改築落成 |
1925年5月10日 | 町制施行により水窪尋常高等小学校門谷分教場と改称 |
1941年4月1日 | 学制改革により水窪町国民学校門谷分教場と改称 |
1947年4月1日 | 新学制、六・三制発足により水窪町立水窪小学校門谷分校と改称 |
1956年4月1日 | 児童数の減少により、一学級編成となる |
1959年9月25日 | 伊勢湾台風の影響により、校舎半壊、職員住宅全壊 |
1959年10月12日 | 校舎の一部が復旧 |
1962年10月10日 | 職員住宅落成 |
1963年4月1日 | 二学級編成となる |
1963年7月8日 | PTAの奉仕により給食室完成、ミルク給食の開始 |
1968年4月 | 住民の転出により児童数が激減、六年生女子1名のみとなる |
1969年3月31日 | 児童数0となったため、一時閉鎖 |
1970年3月31日 | 児童数0のため、廃校となる |
また、児童数、学級数、教師数の変遷は以下の通りである。
年代 | 児童数 | 学級数 | 教師数 |
1898年 | 3 | 1 | 1 |
1903年 | 17 | 1 | 1 |
1908年 | 13 | 1 | 1 |
1912年 | 23 | 1 | 1 |
1917年 | 31 | 1 | 1 |
1922年 | 35 | 1 | 1 |
1927年 | 38 | 1 | 1 |
1932年 | 47 | 1 | 1 |
1937年 | 34 | 1 | 1 |
1945年 | 46 | 2 | 2 |
1950年 | 33 | 2 | 2 |
1955年 | 13 | 2 | 2 |
1960年 | 14 | 1 | 1 |
1965年 | 19 | 2 | 2 |
1966年 | 16 | 2 | 2 |
1967年 | 5 | 2 | 2 |
1968年 | 1 | 1 | 1 |
1969年 | 0 |
また、同分校の沿革誌の最後には、当時の教員であった桜井貞彦氏の言葉が残されている。
「明治十二年開校以来九十一ヶ年の間、二百九十一名の卒業生を送り出し、輝き続けていた学灯を消し廃校となる」
最後に
以上が我々の調査により判明した門谷集落の歴史についての記録である。16世紀から続くこの集落の歴史には栄華も栄光もなく、決して歴史の表舞台には現れることのない、平凡な人々が紡いだ営みの記録に過ぎない。だが、こうした平凡な人々の営みの連鎖により今の我々が存在し、これからの未来が作られていくのである。今後もこのように歴史に埋もれた人々の歴史を再発見し、発信していきたいと思う。
関連記事
2022/04/21
谷山集落の歴史 – 木地師が拓いた山間集落について解説2022/03/19
【秘境駅】JR飯田線 小和田駅から最寄りの集落まで歩いてみた2022/01/16
元盛松の歴史 – 海に面した集落で暮らした人々の文化・風習などを解説2022/01/02
まるで古代遺跡のような森の先には大海原が – 元盛松集落を取材2021/12/22
海を見下ろす港町の廃校 – 梶賀小学校を取材