2021/10/22

築100年越えの古民家を発見!? – 門谷集落を取材しました

historicaの安藤です。今回は静岡県浜松市にある門谷集落を取材してきました。この集落は以前訪れた夏焼集落にほど近い場所にある集落で、実はこの2つの集落には歴史的に興味深い関連性もあったりします。その辺の情報はまた別の記事でまとめてますので興味のある方は是非そちらを参照ください。

門谷集落へのアクセス

門谷集落は、googleMAP上では小和田水窪線と表記されている林道沿いに存在する集落です。最寄りの駅は小和田駅、もしくは大嵐駅です。駅から歩いて行くこともできるようですが、どちらも門谷集落とは距離があるので、かなり過酷な道のりになるでしょう。小和田水窪線を沿って走れば、車で現地まで辿り着けるので、車やバイクがある方は断然そちらをお勧めします。ただし、この小和田水窪線に関してもあまり整備がされておらず、度々落石などで道が遮断されることもあるそうなので、安全性に十分配慮したうえで訪れる必要があります。

門谷集落に到着、さっそく探索していく

門谷集落に到着し、さっそく取材を開始することに。集落は明らかに現在も管理されている様子で、点在する建物も定期的に使用されている様子でした。定住者こそいないようですが、現在も農地として利用されているようで様々な作物が栽培されており、静岡名物である茶畑もありました。

現在も管理されているであろう建物
集落には茶畑も広がっている

集落は急な斜面に沿って構成されており、下層部にもいくつか建物があるようだったので、行ってみることに。下層部へ続く石段もあったのですが、ほとんど使用されている様子はなく、殆ど自然に飲み込まれていました。恐らく現在は下に降りていく人は殆どいないのでしょう。

下層部へ続く石段は自然に飲み込まれつつある

築100年超え?歴史ある古民家を発見

下層部はまるで訪問者を拒むかのように雑木林が生い茂っており、中に入っていくのにかなり苦労しました・・・。蜘蛛の巣や謎の虫に苦しめられつつ進んでいくと、そこには相当古そうな民家が。昼間でも中はかなり暗く殆ど中の様子はわかりません。照明を持ってくるべきだったと後悔しつつ探索を続けます。

建物はかなり朽ち果てた様子だ
中もかなり薄暗く荒れ果てている

民家のすぐそばには祠のようなものもありました。祠の方は民家の朽ちた様子と比べると綺麗な状態だったので、もしかしたら時折誰かが管理しにやってきているのかもしれません。どのような意味合いを持った祠かはよく分かりませんでしたが、個人の敷地内にこのような立派な祠があるのも珍しいように思います。

民家の敷地内に設けられた祠

この古民家が築100年以上経過していると思われる理由

この古民家を見たときに取材班はある違和感に気が付きました。そう、この建物には窓ガラスが一切無いのです。少し気になって調べてみましたが、日本で窓ガラスが一般に普及し始めたのは1923年以降。この年には関東大震災が起こり、首都が壊滅的な被害を受けました。

首都再建事業とともに窓ガラスも一気に一般家庭に普及したというわけですね。それ以前は障子窓が一般的で、この障子窓は江戸時代から普及し始めたという歴史があります。ということは、この古民家は江戸時代~1923年に至るまでの時期に建てられた可能性が高く、そうであれば築100年をゆうに超えている可能性があるわけですね!

辺境の山奥でこのように歴史のある建物に出会える、これが廃村探訪の魅力であり醍醐味ですね。というわけで相当に古い建物だということは確かで、いつ崩壊してもおかしくない危険性もあるため、探索はそこそこに一旦、出発地点である上層部へと戻ることにしました。

採光はすべて障子窓で行っていたようだ
建物内部、わずかな陽が射すのみである
玄関付近に設置してある竈

集落の上層部を探索

集落の上層部にも放棄された建物がいくつか確認できました。見た感じ先ほどの古民家よりは年式の新しそうな建物で、中には元住民のものと思われる生活感に溢れた物品の数々が確認できます。因みにこの家には窓ガラスがありました。

上層部の民家
元住人の生活を伺い知れる

そして民家の庭にはなぜか浴槽が放置されていました。即席の露天風呂でしょうか?確かにここでお風呂に入ったら解放感が凄そうですね・・・。そんな感じで上層の探索を終えて次はこの集落のランドマーク的な存在でもある廃校へ向かうことにしました。

庭に放置された謎の浴槽

廃校に向かう途中でお寺を発見

廃校を探していると途中でお寺を発見。せっかくなので見てみることに。敷地はさほど広くもなく建物自体も寺感はあまりませんでした。なぜこの施設を寺だと思ったのかと言えば敷地内にお墓があったからです。神社であれば普通敷地内に墓所は設けないはずですからね。

建物自体は管理されているのか綺麗な状態
敷地内にあった灯篭

また、境内に建立された石碑には「秋葉山大権現」、「金毘羅大権現」とありました。秋葉権現は静岡県の天竜区にある秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神様で、秋葉山本宮秋葉神社が起源とされています。金毘羅権現は、明治の神仏分離令により事実上消滅させられた神様ですが、現在は少数ながらも各地の寺院で祀られているそうです。

本尊が刻まれた石碑

険しい道のりを超え、門谷分校跡に至る

分校はそこまで離れておらずすぐに見つけることができました。しかしそこに至る道中はなかなか過酷で、とんでもなく急な斜面をロープをつたいながら登っていくことになります。舐めて掛かると怪我につながる恐れもあるので十分注意しながら登っていくと分校がその姿を現しました。廃校から50年ほど経過しておりますが、校舎は未だに残っており、独特な雰囲気を醸し出しています。

分校内を探索していく

さっそく分校内を探索していくことに。中には当時の家具や、教科書などがそのまま残されており、まるで突然人だけがいなくなったかのような雰囲気がありました。建物は廃校から50年以上経過していることもあり、それなりに劣化が始まっていました。床もところどころ腐食しており、場所によっては踏み抜いてしまいそうな場所もあります。幸い山奥に位置するだけあって、人為的に荒らされたような痕跡はありませんでした。

小学校だけあって椅子や机は小さめだ
そのまま残された教科書とタンバリン
風通しは良く夏でも快適そうだ
黒板は殆どが剥がれ落ちてしまっている
何故か置かれたとっくり?

校舎の一部はすでに崩壊してしまっており、この様子だとあと数年もすれば完全に全体が崩落してもおかしくはないような状態でした。すでに役目を終えた場所で管理されているわけでもないので仕方のないことですが、こうしてまた1つの歴史が世界から失われていくことに寂しさを感じつつ、これをせめて記録に残していくことに確かな意義を感じています。

校舎の一部は崩壊し外から中の様子が見える状態だ

門谷集落の探索を終えて

今回は門谷集落の取材の様子を紹介していきました。ここは分校跡が未だに残されている貴重な場所ですが、恐らくここも近い未来には完全に失われてしまうのだろうと思われます。時の流れはまさに無常ではありますが、未来の人々がこういった場所の痕跡を垣間見れるように、私たちはこれからも記録を残し続けていきます。

上でも紹介しておりますが、この場所の歴史に関しては別のコラムにて紹介しておりますので、そちらも併せてチェックしてみてください。また、youtubeやインスタグラムでも色々と情報発信を行っていますので、気に入っていただけた方はぜひフォロー頂けると励みになります。それでは、また次回の記事でお会いしましょう!

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