2022/04/27
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【豊かな森と清流のまち】水窪(みさくぼ)を探索 -後編-
▶前回までの水窪探索
水窪駅から橋を渡り、水窪のまちを歩く。幻のタコライスに翻弄されるが、素敵な道の駅を発見。
さて元気を取り戻したところで、水窪の歴史を知るために民俗資料館に向かうことに。探索していた市街地から資料館へは若干距離があったので、タクシーを使うことに。道中、水窪川沿いを走るタクシーの車窓から、町の住人と思しき初老の男性が見えました。なにやら棒を持って川に何かを投げ入れています。
声をかけてみると、マムシを駆除しているとのことでした。マムシって毒のあるヘビですよね。そんなのが出るんですか(汗)
森と川と生きるということは、自然の生き物とも共存するということなんですね。それにしても装備は棒一本で大丈夫なのでしょうか… God knows…
江戸時代の民家
この日は日曜日でしたが、民俗資料館は臨時休業日となっていました。日曜日だからやっているだろうと町の人に聞いていたのですが、残念。
しかし、民俗資料館の隣には江戸時代の民家が保存されていました。こちらは常時見学できるようです。
旧水窪町域にあった農家造りで、120年以上前のものだそうです。農家では、居間、座敷や茶の間などの部屋を正方形で4つに区切る田の字型古民家が多いですが、この建物は部屋が一列に連なる並列型というそうです。
写真の手前は家屋に隣接する馬屋です。古くから農業や林業が盛んな地域なので、農耕や運搬などに用いる輓馬などを飼っていたのでしょうか。
土間には手もみ茶を作るための部屋も設けられており、製茶のシーズンにはここで仕事をしたようです。門谷を訪問した際にも、放置された民家の隣でいまだに栽培が続けられている茶畑がありました。天竜川上流、水窪町奥領家では昔から茶の生産が続いているんですね。調べてみると、「天竜茶」とよばれる上質なお茶であることが分かりました。飲んでみたい!
暮らしの移り変わりついて聞く
民家の保存状態は素晴らしく、経年で廃れた感じが歴史の重みと凄みを醸し出しているようで見ごたえがありました。 民俗資料館で水窪の歴史情報をキャッチできなかったのは残念ですが、郷土資料に残っているものだけが歴史ではありません。歴史を知っている人がいるのなら、直接お話を聞くことも歴史を紡ぐ手段です。
ということで、タクシーで水窪の市街地に戻る途中、運転手さんにここでの生活について聞いてみました。
水窪でのお仕事について聞いてみる
取 材 班「ここで暮らしている人は何を生業にしている方が多いですか?」
運転手さん「年配の人が多いから、ほとんどは年金暮らしの人かな。昔は働く場所もあったけど、今は働く場所も少ないから若い人は出て行ってしまって帰ってこない。」
取 材 班「そうなんですね。以前あったという働く場所はどのような仕事ですか。」
運転手さん「日産自動車の下請けの会社があったから、そのころはそういう会社に勤める人が50名はいたから良かったけど、今はさみしい限りだね。」
取 材 班「観光などで人が来ることもありませんか?」
運転手さん「観光地でもないから、あまり人が遊びに来ることはないね。ただ、山が深いから登山を目的に訪れる人は多いよ。」
経済圏が限られているために働く場がなく、雇用が創出できない実情があるようです。あとで郷土資料を漁ってみたところ、戦前の水窪では就業者の80%が農業・林業に従事していましたが、戦後急速に減少していることが分かりました。特に林業は「天竜材」と呼ばれる国内でも良質な木材によって栄え町の基幹産業でしたが、昭和40年代から低迷し始め、高度経済成長後の昭和50年代後半には極端に衰退したようです。
一方で、昭和40年代からは水窪町を挙げての製造工場の誘致が功を奏し、製造業の就業人口が拡大しました。「大井電子」、「リリー製靴」、「杉山製作所」、「富士鉄工」、「川越電子工業」などの会社があったようです。
これだけ企業があれば多くの雇用が生まれていたことでしょう。現在はそれらの産業も失われてしまいました。しかし、今も豊かな自然があり登山やレジャーを楽しむ人にはとても良い場所だと知ってもらいたいです。
にぎやかな水窪まつり
タクシー運転手さんとの話の中で、町のお祭りもついて聞くことができました。例年9月ごろには水窪まつりがあるため祭りの準備で活気があるとのことですが、今年はコロナの影響で中止なのでその様子が見られないのが残念だと言っていました。
水窪では年に一度のお祭りがあり、そのお祭りの際には若者たちも帰ってきて大変盛り上がるそうです。 水窪町の地区ごと屋台曳き回しでは町の若者たちが主役になって祭りを盛り上げ、遠州最大と名高い仮想コンクールや打ち上げ花火などの催しがあるため、例年なら沢山の観光客が訪れ大いに賑やかになるようです。コロナが収束したら必ずまた来たいですね。
水窪の探索を終えて
あっという間でしたが、水窪の探索を終え、再び駅のある高台に戻ってきました。水窪の町の雰囲気を味わった感想としては、住む人々の優しい感じとか人当たりの良さがとても印象に残りました。人口が減っていくなかで賑わいが薄れているという実情も、町に働く場所がなければ仕方がないことだと思います。
それでも、水窪まつり等の際には多くの若者が帰ってくるという話はとても良い話でしたね。 やはり、町に魅力があるから帰ってきたくなるのでしょう。
街は、我々historica取材陣のような外から訪れる人にも寛容なムードがあり、ふらっと訪れただけで魅力に触れることができる場所でした。みなさまもぜひ体感してみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。historicaでは今後も、人と町の歩みを取材して掲載していきます。
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