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入谷集落の歴史 – 霊仙山の麓に栄えた山間の集落
今回は現在の滋賀県多賀町にかつて存在した集落、入谷について解説していく。旧霊山村を構成していた部落の1つであったこの場所は、1990年に全戸が離村しているため、現在は管理のため一部の元住人が訪れるのみとなっている。今回実際に現地調査に赴いたが、日本の古い集落の風景を色濃く残す美しい場所であった。
入谷集落の成立ち
言い伝えによれば、この付近にあった男鬼入谷城から下った人々が住み着いてできたのが、この場所の始まりであったという。この男鬼入谷城については、情報が殆ど残されておらず謎の多い城とされているが、おおよそ16世紀ごろに築城されたようである。
入谷集落の暮らし
この項では集落の生活や主な出来事について紹介していく。
住人の生業
その地勢上、集落に田地は存在せず、傾斜の強い畑地では主にゴボウが栽培されていたようである。住民の生業は古くは全戸が木挽だったが、近代に入ると殆どの住人が林業に従事したという。集落は山の斜面に沿って構成されており平地が少なかったため、各戸集落から離れた川沿いの平地にクルマゴヤと呼ばれる物置小屋を建ててそこに農具などを保管していたという。現在でも川沿いにはこのクルマゴヤと思われる建物が多数確認できた。
近隣との交易について
入谷は現在は多賀町に含まれるものの、多賀方面への道路が開通するまでは、近隣の男鬼・武奈などと一体を成しており、交易はすべて彦根方面と行われていたようである。道路が開通してからは、次第に多賀方面との交易も行われたようである。
1955年の大火
集落は戦後の1955年に大火に見舞われ僅か2棟を残し、ほぼ全焼するという壊滅的な被害を受けた。しかしながら、周囲を山林資源に恵まれていたこともあり、比較的早期に復旧された。入谷と同じく旧霊山村を構成していた落合、今畑と比べ比較的新しい家が多いのも、この大火があったためだと思われる。
入谷集落の信仰
入谷には神社と寺がそれぞれ現存しており、今でも元住人の手によって大切に管理されている。ここではそれぞれの歴史について触れていく。
了眼寺
了眼寺は1471年に創建された、浄土真宗本願寺派の寺院で、本尊は阿弥陀如来である。
1955年に発生した大火によって了眼寺も全焼したが、その後、彦根市にあった廃寺を移築し、再建された。現在でも、集落の元住人が集まる際の拠点となっており、集落が廃村となった後も、元住人の交流の中心地としての役割を持ち続けている。
しかし、現在は寺の建つ土壌が徐々に崩落しており、2021年には元住人のボランティアによって補修工事が行われている。実際に現地で確認したが、恐らく今後も雨風により土壌は流失していくと考えられ、近い将来倒壊する可能性が高いように思われた。
谷神社
集落の上部に位置している神社で、1459年創建。祭神は市杵島姫命、弁財天である。元は弁財天であったが、恐らく明治の神仏判然令により市杵島姫神社となったと思われる。
多賀町にある久徳城の城主の妻であった「良姫」は、この地区の祭神であった弁財天の化身とも伝わり、良姫が霊仙に上った際に入谷集落に立ち寄り、櫛とこうがいを民家に預けてから登ったと伝わることから谷神社が建てられたと伝わる。
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