2022/03/19

【秘境駅】JR飯田線 小和田駅から最寄りの集落まで歩いてみた

historicaの安藤です。今回は秘境駅として数あるランキングでも常に上位にランクインすることで有名な、JR飯田線の小和田駅へ行ってきました。秘境駅とはその名の通り秘境にある駅のこと。一見、何でこんな場所にわざわざ駅を設けてるの?と言いたくなるようなレベルの辺境に位置している場合が多いです。

この小和田駅に関しても、まずアクセスするには電車か、または徒歩で山を下るかの二択しかないのですが、徒歩は危険も伴いますし、相当の労力を要するので、実質的には電車を利用する方法でしかアクセスができない場所となっています。しかも、駅に着いたとしても辺りには本当に何もありません。駅の周辺は深い山々と天竜川が広がるばかりであり、最寄りの人里までも過酷な山道を1時間ほど歩いてようやく辿り着くというありさま。

当然、電車の本数も最小限であり、もし小和田駅を訪れるのあれば、そのような環境下で確実に2時間以上は次の電車を待つ必要があります。ふらっと立ち寄るには中々ハードルが高い場所かもしれませんね。

ただ駅を見るだけ、というのも面白みに欠けますし、この駅は有名なだけあって散々他のメディアが取り扱っているネタでもあるので、どうせなら駅から最寄りの塩沢集落という場所まで歩いてみることにしました。集落へは古い地図にしか載っていない山道を行く必要があります。距離はそこまであるわけではないのですが、如何せん山を登り続ける必要があるため、我々の想像以上に過酷な道のりでした。

そんな取材の様子を今回はお届けしたいと思います。

小和田駅へのアクセス

上述の通り、小和田駅は陸の孤島と言う言葉がぴったり当てはまるような環境下にあり、アクセスにはJR飯田線を利用する方法が唯一となるでしょう。飯田線は愛知県豊橋市と長野県を結ぶ路線であり、飯田線上の駅から乗車すれば確実に小和田駅まで運んでくれます。ただし、普通列車しか停車しないようなのでそこは注意しましょう。

周辺には本当に何の施設もないうえに電車は2~3時間に1本という少なさ。完全に無人駅のため人も居ません。もし訪れるのであれば飲み物や携帯食料ぐらいは持っておいた方が良いでしょう。駅舎に暖房設備はありませんので、冬であれば防寒対策も欠かさずに。

本長篠駅で車を停め電車で小和田駅へ

本長篠駅のホームで電車を待つ

我々は愛知県新城市にある本長篠駅に車を停め、そこから電車で移動しました。運賃は片道990円。駐車場は無料で開放された場所がすぐ近くにあります。この駅には車掌さんが常駐しているようですが、我々が訪れた際は駅舎で爆睡していました。このゆる~いのんびりした感じが田舎の良い所でもありますね。

手動開閉式の扉に戸惑う

ローカル線あるあるかもしれませんが、電車の扉は手動で開閉するタイプ。どちらかと言うと普段は都心に近い場所で生活しているので少々戸惑います。小和田に着いた際につい自動で開いてくれるものだと思い込み、扉の前で棒立ちになってしまいました。

約1時間半で小和田駅へ到着

味のあるレトロな看板

電車に乗ること1時間あまり、ついに小和田駅へ到着しました。驚いたことにこの時は我々も含めて4名降車し、やはり未だに人々に愛されている場所なのだなと感じました。駅自体はホームが1つとこじんまりとした木造の駅舎があるシンプルな造り。さっそく辺りを散策していくことに。

小和田は恋が成就する駅?

恋成就駅と銘打った看板

駅について最初に目を惹いたのは恋成就駅という木造の立て看板。なぜ恋成就?と思い少し調べてみました。なんでも今上天皇のご成婚の際に現在の皇后である、雅子様の旧姓が「小和田」であったことから、同表記のこの駅がその話題に乗っかる形で様々なイベントを企画したのが由来だそう。この際に旧水窪町が主催で結婚イベントを開催し、この駅で結婚式を挙げるカップルを募集、実際に1組が挙式を行ったそうです。その時の様子が納められた写真が今でも大事に駅舎の中に飾られています。

駅舎にはここで式を挙げたカップルの写真が飾られている

ノスタルジーな駅舎とスパーカブ

1933年に建てられた当時の姿のままだという駅舎は最低限の設備しかなく、簡素ではありますがノスタルジーな雰囲気を醸し出しており、まるで映画のセットのよう。玄関前に打ち捨てられた錆び付いたスーパーカブも、最早この駅舎の一部かのように馴染んでいました。こういうのを見ると、一体どういう経緯でこの場所に捨てられたのか、ついつい想像を膨らましてしまいます。

まるで映画のセットような駅舎
木造の駅舎にはノスタルジーな雰囲気が漂っている
もはや駅舎の一部と化したスーパーカブ

三県の県境が交わる場所

この駅は愛知・静岡・長野の三県の県境が交わる駅としても有名です。実際の県境は地図で確認する限りは天竜川の真上にあるのですが、本当に駅からは目と鼻の先に位置しています。その地勢上、開業当時は各地域を結ぶ要衝として賑わったのだとか。正に栄枯盛衰、時代を通じて重要な役目を果たしてきたこの駅は、今は静かに余生を過ごしているかのようです。

駅には三県境界駅の看板も

意を決して塩沢集落へ歩き出す

駅周辺は散策道となっているようだ

さて、駅舎の見学もほどほどに意を決して塩沢集落へ向けて歩き出すことに。次の電車は2時間半後ですが、それを逃すと5時間以上先となるので、あまりのんびりしていると時間が無くなってしまいます。集落までは約1時間の道のり。時間的余裕はありません。

製茶工場の廃墟を発見

工場の建物はかなり老朽化しており崩壊が進んでいる

駅舎から100mほど進むと何やら廃墟を発見。調べてみるとここは製茶工場だったようです。工場と思われる建物のすぐそばにもう1軒あり、ここは恐らく従業員の居住スペースだったと思われます。中には風呂やトイレなど生活に必要な設備が整っていました。

工場の内部、今にも崩れそうだ
工業用の機械のようなものが多数確認できた

いつ頃この場所が稼働していたのかは不明ですが、後日調べてみたら1993年の結婚式イベントの際に、一度この建物が再利用されたのだとか。あまり人様の建物の中にずかずか立ち入るわけにはいかないので、建物の中までは見られませんでしたが、中にはその時使用された遺留物が多数残されているみたいです。

従業員の居住スペースだったと思われる別の建物
風呂などの設備も確認できた

天竜川の迫力に圧倒される

天竜川の迫力は凄かった

工場の廃墟を跡にし、看板に従って塩沢集落の方向へ再び歩き始めます。ふと横を見ると雄大な天竜川がとうとうと流れていました。こんなに近くで天竜川を見るのは初めてで、この川の底にはかつての集落が沈んでいるのかと思うと、なんだか切ない気持ちにもなります。

道中は廃墟が点在していた

山道を歩いていると、かつて人が暮らしていたであろう廃墟が点在していることに気が付きます。ダム建設の際に、沈まなかった、あるいは故郷を離れたくなかった人々が、高い場所へ移転したのかもしれません。2010年代まではこの辺りに1世帯居住があったそうですが、現在では完全に無住となっています。故に小和田駅を純粋な生活で利用する人は現在では0となっているのです。しかし、この場所での生活は困難を極めたと容易に想像ができます。辺りには本当に何も、病院や商店など生活に欠かせない施設はなに1つとしてありません。それでも故郷に残る選択をした人がいたというのもまた、歴史の1つの側面として遺していくべきでしょう。

廃墟はどれもかなり古い建物だ
いつ頃まで人が居住していたのかは定かではない
かつてここにも人の営みがあったのだ

通行止めになっている場所も多い

集落へと至る途中にはいくつも通行止めの道と出会います。中には数年間も通行止めになっている場所もあります。現在では我々のような変わり者以外は使用するはずもないこの道を補修する必要性は限りなく低いのでしょう。数十年後にはこの道も完全に自然に飲み込まれ、姿を消しているかもしれません。安全第一ですので、通行止めの注意書きには大人しく従いながら先へ進んでいきます。

道中はこのような通行止めに度々突き当たる

赤い吊り橋を渡る、ここからが地獄

吊り橋は結構揺れるのでなかなかスリルがあった

しばらく歩いて行くとひと際目を惹く赤い吊り橋が見えてきます。小さな橋ではありますが歩いてみると結構揺れるので、中々恐怖感があります。この橋を越えた辺りからはひたすら急斜面を登っていくことになります。運動不足の我々にとってこれは本当に辛い道のりでした。息を切らしながら集落を目指して登っていきます。

ひたすら登り道・・・

かつて人々が暮らした痕跡

かつての人の営みの痕跡を発見

過酷な上り坂もようやく8合目まで来たかという辺りで、かつて畑であったであろう立派な石垣群に出会いました。恐らく段々畑になっていたんだろうなとその威容から想像ができます。石垣を見ると、かつてここには確実に人の営みがあったんだと、ノスタルジーな気持ちに浸ることができます。近くにはトイレの跡も残されていました。恐らく人糞を畑の肥料として再利用したのでしょうか。ここまで来れば集落はもうすぐそこです。最後の力を振り絞って先へ進んでいきます。

段々畑だったと思われる石垣は大規模なものだった
畑には公衆トイレも設置されていた

後半は崩壊した箇所が増える

最後の難関と言わんばかりの崩落具合

集落に近づくにつれて徐々に道が険しくなっていきます。中には完全に崩落した道などもあり、とても危険な状況となっていました。落石などの被害を受けたものがそのままの状態で放置されているのでしょう。慎重に安全を確保しながら先へ進んでいきます。

崩落した箇所はもはや道ではない
落石などの影響だろうか

遂に塩沢集落に到着

家屋は10軒に満たない規模の小さな集落だ

歩き出してから約1時間半ほどでしょうか、遂に集落へ辿り着くことができました。ここまでの道のりは人生でも1,2を争うほど過酷だったかもしれません。因みにこの時点で次の便の電車に乗ることなど夢となっていました。近くに掲示されている看板を見ると、全国2位の秘境駅とあります。この全国2位というのがいつどこのランキングなのかは不明です。そして片道2.8km、所要時間は43分との記載が・・・。いやいや、このタイムは絶対に無理でしょうと思いつつ、自らの体の衰えをひしひしと感じさせられる思いでした。

山の斜面に沿って家屋が点在している

集落は山の斜面に沿って家屋と綺麗に整備された畑が点在する典型的な山間集落で、以前取材した夏焼集落をどこか彷彿とさせるような場所でした。現在は住民僅か10名にも満たない限界集落で、殆どが高齢者のため、この場所も近い将来廃村となってしまう可能性が高い場所の1つとなっています。こういった長閑な山間集落は年々その数を減らしており、この国から失われつつある風習・文化の1つでもあります。

この集落はいつ頃に拓かれたものなのかは不明ですが、水窪町史などの資料から確認できる情報からすると、少なくとも500年ほど前からは存在していたことが確認できました。

雄大な自然を望む集落からの風景

白山神社に立ち寄る

上の方に神社は確認できるが巨大なご神木が倒壊していた

集落の最上部には白山神社がありました。祭神は白山大権現で、その由緒は不明ですが、この集落の歴史を考えると数百年前から存在していたとしてもおかしくはありません。我々が訪れた際には境内の大きなご神木が倒壊しており、神社にアクセスするのも一苦労でした。集落には高齢者しかおらず、もはやこの倒木を撤去する人員を確保することができないのでしょう。このような限界集落では、集落の機能を維持することも難しくなっている場合が多いのが現状です。

神社へ至る林道を倒木が塞いでいた
ここを乗り越えて神社へと向かう

なんとか倒木を乗り越えてようやく神社へと到達。神社は綺麗に管理されており、小規模ながらも立派なお社と社務所のような建物も確認できました。先ほどの倒木のものと思われる木の幹も発見。恐らく腐りかけていたものが台風などの影響で倒れてしまったのでしょうか。神社は集落の一番高い位置にあり、そこからの景色も絶景でした。

神社の御社
倒木の根と思われる部分、かなり腐敗していた
神社からは遠くの山々が見渡せる

まとめ

今回は秘境駅で名高い小和田駅から最寄りの人里である塩沢集落までの旅程を紹介しました。流石に大変そうだなとは思っていましたが、想像の3倍は過酷な道のりでした。しかしながら、途中で点在する廃墟や、人々がかつてこの場所で暮らしていた痕跡というのは、実際にこの足で歩いてみたからこそ発見することができたものだと思います。とはいえ当時の塩沢集落の子供たちは、集落から小和田駅まで徒歩で移動し、そこから電車で通学していたみたいなので、自分の体力のなさに情けなさも感じる旅となりました。

historicaでは、今後もこのようなローカルなスポットを紹介していきますし、ほかの記事でも魅力的な場所を多数紹介していますので、気になる方は是非チェックしてみてください!

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