2022/06/02
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海を見下ろす港町の廃校 – 梶賀小学校を取材
今回は三重県尾鷲市の梶賀町という港町にある廃校、梶賀小学校へ行ってきました。これまでは廃村の取材レポートをお届けしていましたが、今回は初めて廃校にフォーカスした取材となりました。
1998年に廃校となったこの場所は、梶賀町を見下ろす高台の上に建っており、廃校から20年以上経った今でも校舎は取り壊されず残されています。校舎のある高台へは人が通れるぐらいの広さの歩道しかなく、坂道や階段を上へ上へと登っていくので、恐らくなかなか重機などを持ち込むことができずそのまま放置されているのだと思われます。
廃校と言えば、以前訪れた門谷集落という場所にある門谷分校の記事もアップしてますので、廃校マニアの方は是非そちらも併せてお楽しみいただけると幸いです。
目次
梶賀小学校へのアクセス
廃校のある梶賀町には公共の交通機関が通っていないため、車での移動がお勧めです。梶賀町へは賀田ICから車で10分程度の距離なので、比較的アクセスはしやすい場所に位置しています。
最寄りの駅は賀田駅で、駅から梶賀町へは3.5km程なので、頑張れば徒歩でも行くことも可能ではあります。ただし、道中には歩道のない場所もありますので、安全性を考慮すればあまり徒歩で向かうのはお勧めできません。
梶賀町へ到着、目的の梶賀小学校を探していく
梶賀町は観光地ではありませんが、釣り人が頻繁に訪れるため、町内には有料の駐車場も設けられていました。町はさほど広くないので、駐車場の場所は道なりに進めば見付けることができるでしょう。管理人が不在の時も多いようなので、その場合は一旦駐車場に仮停めさせてもらい、あとから申告すれば良いよと町の方に教えて頂きました。
廃校は高台にあるという情報しかなかったので適当に町を散策しながら探すことに。とはいえ高台へ続く道はすぐに発見することができました。高台まではなかなかの急こう配で、運動不足の身体には結構堪えます。当時の子供たちは毎日この坂道を登って登校したのか・・・と思わず関心してしまいました。
梶賀町は猫の楽園?
梶賀町を歩いているとあちこちで猫を見かけました。港町にはなぜか野良猫が多いイメージがありますがなぜでしょう?やはり猫は魚が好物なのでしょうか。住民の方とお話する機会もあったのですが、野良猫は町内の住人みんなで可愛がっているそうで、毎日餌だけ貰いに来る猫もいるよと教えて頂きました。なんと図々しい・・・しかしその奔放さがまた猫の魅力ですね。
目的の梶賀小学校へ到着
しばらく坂道を登っていくと目的の廃校が見えてきました。住民の方に敷地内に入って良いものかお尋ねすると、「ゆっくり見学していってねー」とのこと。恐らく我々のような輩は頻繁に訪れるため住民の方も慣れっこなのでしょう。実際、施設内の建物は施錠もされておらず誰でも自由に出入りができる状態でした。
主な建物は3つあり、恐らく教員宿舎であったであろう小さめの建物、集会所だったと思われる中ぐらいの建物、そして一番高い場所にメインの校舎といった具合。校庭には遊具もそのまま残されており、何より高台から町を見下ろす景色が美しい。汗を流しながら登った甲斐があったというものです。
そんな景色に見惚れつつ順番に建物を見学していくことに。
まずは集会場を探索
まずは校庭に面している集会所を探索していきます。因みに教員宿舎と思われる建物は中に入ることできず断念しました。集会所の中は流石に20年以上の時を経てかなり荒れ果てていました。窓ガラスも割れ、破片があたりに散乱しているため、足元には十分注意する必要があります。
この場所にはグランドピアノを始めとした楽器の類がたくさん残されているのが印象的でした。舞台も設置されていることから、恐らくこの場所で合唱祭などの各種発表会を行っていたのでしょう。当時の子供たちの姿が思い浮かぶようで、なんだか切ない気持ちになりました。
メインの校舎を探索していく
メインの校舎は集会所からはもう一段高い場所にあります。校舎への階段を上っていくとまずは定番の二宮さんがお出迎えしてくれました。二宮金次郎の像は筆者の小学校にもありましたが、今時の小学校にもまだあるんでしょうか。例のごとく校舎の方も施錠はされておらず、自由に出入りできる状態でした。
校舎に入ってみると、まるで当時のまま時が止まっているかのような、そんな感覚に陥りそうになりました。学校の備品や子供たちが描いたであろう絵などはそのまま放置されており、朽ちた校舎だけが、ここが廃校だということを認識させてくれます。校舎自体は一階建てで、教室も3つほどなので最盛期でも生徒数はそこまで多くはなかったことが想像できます。
まずは正面玄関を入ってすぐの校長室へ、部屋の中にある黒板にはおそらく最後の日に書き残されたであろうメッセージが目に留まりました。
「ごくろうさま 梶賀小学校」
「ありがとう 梶賀小学校」
「さようなら 梶賀小学校」
日付は平成10年3月31とあります。まさに廃校となった年の年度末にあたる日。校長室ですから、やはり校長先生が書き残したのでしょうか。その字の美しさから、長い年月チョークを握って生徒の教育に尽力したであろうことが伺えます。校長室を後にし、残りの部屋も探索していくことに。
図書室、保健室、職員室と学校に必要な設備は一通り揃っています。初めて来た場所ですが思わず小学校ってこんな感じだったなあ、と母校を思い出しました。やはり大人になると全てが少し小さく見えるものですね。事前の情報では一番端に理科室があったはずなのですが、現在は廊下が瓦礫や荷物で埋まっており、残念ながら中に入ることはできませんでした。気を取り直して、残りの教室を探索していきます。
理科室の真逆に当たる端には、別棟としてトイレが設置されていました。男女共用というのが時代を感じさせますね。トイレはここしか見当たらなかったので、教員も共同で使用したのでしょうか。現代であれば色々と問題になりそうな造りではありますね・・・。
ここまでで廃校のほぼ全てを見て周ることができました。思った以上に当時の姿を保っており、どこか懐かしさも感じる場所でした。普段は廃村に訪れることの多いhistoricaですが、今後良さそうな場所があればこういった廃校も紹介していけたらと思います。
梶賀町を掘り下げよう
ここでせっかくなので、梶賀小学校のある梶賀町を掘り下げていこうと思います。小さな町ですが調べてみると色々な記述があって興味深い場所で、現在は過疎化問題を解消するために町おこしの取り組みも行われているとか。ここではそんな梶賀町について簡単に紹介していきます。
梶賀町の略史
この場所の正確な起源は分かっていませんが、16世紀頃の資料には既に梶賀の名を見付けることができます。既に紹介したように梶賀は海に面した町なので、古くから漁業で発展してきました。地勢上この地には田畑が少なかったため、農業の他に製塩も生業として行っていたそうです。
また、この地では捕鯨も行われていたようで、捕鯨が始まった時期や捕獲量がどの程度あったのかは分かっていませんが、クジラが一頭捕れると村全体が潤うと言われたほど重要な生業でした。そんなクジラに感謝の意を込めて梶賀周辺にはクジラの供養碑があったり、この地特有の祭りなどの文化が発展しており、現代にも受け継がれています。
昭和を境にこの辺りの海ではクジラが捕れなくなったようで、捕鯨自体は行われなったようです。
梶賀町の文化、ハラソ祭り
ハラソ祭りとは、当時の捕鯨、鯨突きという習俗を再現するもので、クジラの供養と共にその年の大漁を祈願するためのお祭りなんだとか。祭りは梶賀湾内で毎年成人の日合わせて行われます。この祭りは当時の捕鯨の所作を忠実に現代に伝えているという点で貴重な無形文化財と言えます。
この祭りは一般の方も見学ができるようなので、気になる方は是非観光がてら梶賀町を訪れてみはどうでしょうか。のどかな漁村の風景と、心地よい海風に癒される素敵な場所ですよ。
町おこしの取り組み
梶賀町では町おこしの一環として、地域おこし協力隊などと協力し「梶賀のあぶり」を商品化、現在売り出し中です。梶賀のあぶりは、もともと保存食として住民の自給用としてのみ生産されていたものだそう。これが2000年ごろを境に徐々に町外からの注文が増加したことから、2017年に”株式会社梶賀コーポレーション”を設立し、本格的に商品化されました。
この「梶賀のあぶり」は全国でもこの梶賀町でしか生産されておらず、このまま人気が爆発すれば近い将来には希少な食品になるかもしれません・・・。気になる方は是非、今のうちに試してみてはいかがでしょうか?
また、この他にも”株式会社梶賀コーポレーション”では古民家カフェ「網元ノ家」も経営しており、古民家独特の雰囲気に浸りながら、飲み物を頂けます。営業は不定のようなので、もし遠方から訪れる際は、事前にお問い合わせすることをお勧めします。
まとめ
実は今回この梶賀町へは別の取材のついでに突発的に訪問したのですが、思いがけず魅力に満ち溢れたローカルスポットの発見となりました。そんな偶然でこの場所を皆さんに共有できることを嬉しく思います。やはり海の近い町というのは独特な雰囲気があり、良い経験ができました。
historicaでは梶賀町のようなローカルで素敵なスポットを多数紹介しているので、興味のある方はぜひ別の記事もチェックしてみてください。それでは次回の記事でまたお会いしましょう!
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